超地味派&不人気派、上信鋼体化車シリーズを続けます。
クハニ14も1925年製の自社発注車で、こちらは元デハ3。
仲間のクハニ10~13に比べ更新時期が2年新しいせいかシル・ヘッダーがなく、やや近代的な印象、しかし一方で間延びした車体が垢抜けない感じもします。10~13が1981年の250形・6000形投入時に引退したのに対し、14だけはその後も区間運転用に残り半年ほど生き長らえました。
▲高崎 1981-9
続いてクハ20形です。
今回全てのフィルムをひっくり返してみるも、20だけは1枚も撮っていないという体たらく。なのでお友達から拝借した試験塗装時代の画像をアップします。
クハ20は自社発注車・サハ2を1956年に鋼体化したもので、クハニ10を2扉にしたような風体でした。77年頃だったか、デハ11に続く試験塗装第二弾としてこのような奇妙な装束になりますが、元に戻ったのか未だに分かりません。増設された前照灯もどんな意図があったのでしょうか。
▲高崎 1978-8 (撮影:志村聡司)
新造扱いのクハ21。
1959年製ながら台車はブリルを履いており、台枠共々木造車発生品のリサイクルなのか他社から調達したのか、よく分かりませんでした。
▲上:馬庭-吉井 下:高崎 いずれも1980-11
こちらはクハ22。
クハ21と同様の車体ながら、こちらは豊川鉄道モハ20形をルーツとする買収国電。
川造車体のままクハニ21となるも僅か2年で鋼体化されて車体も延長、このスタイルになりました。収容力がアップしたお蔭で、デハ10とコンビを組み最後までラッシュ対応に重宝されます。
装甲車を思わせる伊那電時代の特徴的な風体から一変、箱型車体に生まれ変わり、モータや台車は木造車の発生品に換装されました。
▲いずれも高崎 1962-3
▲元はこんな形 彦根 1984-7
ED316は車体色が茶からブルー+白帯→ピンク+白帯→茶色と変転し、更に社紋が入ったりと目まぐるしく変化していきました。
1980年から始まった近代化事業の一環として、西武からやって来たデハ100形。
旧451系最後の残党で、一時期は4編成の大所帯になりました。彼の登場によって、鋼体化車は淘汰にトドメを刺された形になります。
▲南高崎-根小屋 1980-11
▲高崎 1980-11
▲馬庭-吉井 1980-11
車庫が高崎にあったため労せずして全ての電車を見ることができ、ために走行シーンを疎かにしたのは後々まで悔いを残すことになりました。デキを追い求め月イチペースで沿線に繰り出す頃には既に世代交代は終了し、後の祭り。今となっては、「ついで」に撮っていた感ありの100形や200形を記録できたのが救いではありました。
超地味&マニアック鋼体化車シリーズ、これにて閉幕です。
最後までご覧頂き、ありがとうございました(礼)。
▲高崎 1958-8