2024年3月12日

鋼体化車のワンダーランド・上信電鉄 その4(終)

 ▲上信電鉄デハ10+クハ22 南高崎-根小屋 1980-11

超地味派&不人気派、上信鋼体化車シリーズを続けます。

クハニ14も1925年製の自社発注車で、こちらは元デハ3。
仲間のクハニ10~13に比べ更新時期が2年新しいせいかシル・ヘッダーがなく、やや近代的な印象、しかし一方で間延びした車体が垢抜けない感じもします。10~13が1981年の250形・6000形投入時に引退したのに対し、14だけはその後も区間運転用に残り半年ほど生き長らえました。

▲高崎 1981-9

続いてクハ20形です。
今回全てのフィルムをひっくり返してみるも、20だけは1枚も撮っていないという体たらく。なのでお友達から拝借した試験塗装時代の画像をアップします。

クハ20は自社発注車・サハ2を1956年に鋼体化したもので、クハニ10を2扉にしたような風体でした。77年頃だったか、デハ11に続く試験塗装第二弾としてこのような奇妙な装束になりますが、元に戻ったのか未だに分かりません。増設された前照灯もどんな意図があったのでしょうか。

▲高崎 1978-8 (撮影:志村聡司)

新造扱いのクハ21。
1959年製ながら台車はブリルを履いており、台枠共々木造車発生品のリサイクルなのか他社から調達したのか、よく分かりませんでした。

▲上:馬庭-吉井 下:高崎 いずれも1980-11

こちらはクハ22。
クハ21と同様の車体ながら、こちらは豊川鉄道モハ20形をルーツとする買収国電。
川造車体のままクハニ21となるも僅か2年で鋼体化されて車体も延長、このスタイルになりました。収容力がアップしたお蔭で、デハ10とコンビを組み最後までラッシュ対応に重宝されます。



▲高崎 1981-9

最後はこちら、デキの影に隠れて入換や南高崎までの小運転に終始したED316です。
装甲車を思わせる伊那電時代の特徴的な風体から一変、箱型車体に生まれ変わり、モータや台車は木造車の発生品に換装されました。


▲いずれも高崎 1962-3


▲元はこんな形 彦根 1984-7

ED316は車体色が茶からブルー+白帯→ピンク+白帯→茶色と変転し、更に社紋が入ったりと目まぐるしく変化していきました。



▲いずれも高崎 上:1974-12 下:1992-2

1980年から始まった近代化事業の一環として、西武からやって来たデハ100形。
旧451系最後の残党で、一時期は4編成の大所帯になりました。彼の登場によって、鋼体化車は淘汰にトドメを刺された形になります。
▲南高崎-根小屋 1980-11



▲高崎 1980-11



▲馬庭-吉井 1980-11

車庫が高崎にあったため労せずして全ての電車を見ることができ、ために走行シーンを疎かにしたのは後々まで悔いを残すことになりました。デキを追い求め月イチペースで沿線に繰り出す頃には既に世代交代は終了し、後の祭り。今となっては、「ついで」に撮っていた感ありの100形や200形を記録できたのが救いではありました。

超地味&マニアック鋼体化車シリーズ、これにて閉幕です。
最後までご覧頂き、ありがとうございました(礼)。
▲高崎 1958-8

2024年3月3日

鋼体化車のワンダーランド・上信電鉄 その3


▲上信電鉄クハニ13+デハ12 高崎 1962-3 

新幹線開通前の高崎は、分刻みでやってくる優等列車や貨物に混じって、上信越線・両毛線の旧型国電や八高線DCたちも行き交う、1日中いても飽きない場所でした。

そんな高崎駅の「0番線」からひっそりと発着する、くすんだピンク色の上信線はあまりに地味な存在で、雑誌で見かけることも殆どありませんでした。


▲いずれも高崎 上:1975-2  中・下:1974-3 


▲デハニ30 高崎 1974-12

しかし既に本で知っていた特急や電機を改めて自分で実見するのとは違い、初めて見たデンシャたちは子供心に強烈なインパクトを与えます。1973年夏に初めて高崎を訪れ、ピンク色の電車に衝撃を受けて以来、何度となく通うようになりました。

さて、マニアック上信シリーズ、電動車編に続いて制御車編です。
制御車は2形式、クハニ10形5両とクハ20形3両が在籍していました。ルーツを辿るとデハ同様に複雑ですが、大別して国電と電化時の自社発注車の二つでした。

まずはこちら、クハニ10。
出自は1925年製の自社発注車で、当初はサハニなる形式を名乗りその後サハに改造、54年に鋼体化されています。




































▲いずれも高崎 上:1973-7 下:1980-11

クハニ11も自社発注車で、クハニ10と同様の経緯を辿っています。
▲高崎 1962-3

クハニ12のルーツは大正初期に山手線や中央線で鳴らした木造院電・デハ6300形。
サハに改造後、上毛電鉄に払下げられるも時あたかも終戦直後、その荒廃振りに使い物にならんと判断されたのでしょう、程なく手放した末に上信入りしたという曰くつきでした。木造のままクハ11となりますが、1957年に鋼体化されこの風体になります。


▲高崎 1977-8

こちらは休車になった頃のクハニ12。このまま翌春にスクラップになったようです。

▲高崎 1980-11

クハニ13は上毛電鉄経由で調達した木造省電・サハ25形の台枠を利用し、これに中古部品を組み合わせクハニ12同様の車体を載せて誕生。デハ20・クハ21と共に「新造扱い三羽ガラス」の1両でした。



▲いずれも高崎 1962-3

1974年冬の姿。前面窓の桟がなくなり、側面は1段上昇式に変わっています。
こちらも1980年秋頃から休車になり、翌年春に引退します。



▲いずれも高崎 上:1974-12 下:1980-11

1960年から69年まで、上野からの直通列車「あらふね」が走っていたという話を知る人も少なくなってきました。荒船山への登山客を当て込んでの季節列車でしたが、デキが重連でダブルルーフのスハ32形を牽いて力行する姿は壮観だったでしょう。

・・・しつこくまだ続きます。


▲いずれも下仁田 1960-10

2024年2月25日

鋼体化車のワンダーランド・上信電鉄 その2

▲上信電鉄クハニ13と観光バス 高崎 1958-8 
 
上信鋼体化車シリーズ、デハ20形を続けます。
デハ22・23のルーツは電化開業時に登場した自社発注車で、更新時期が1960年と最も新しいグループ。デハ20・21からは一変、シル・ヘッダーなしの近代的な車体に変わっています。両運が幸いし、81年の戦列離脱後もデハ11の後継として高崎の入換用に残りました。

こちらはデハ22の前身・デハニ4。
鋼体化直前の頃で、二重屋根にジーメンスの巨大パンタとオリジナルに近い姿です。
車体は日車製、台車はブリル27MCB-Ⅱながら、モーターや制御機器はジーメンス製で占められており、ご存知デキ1もマンとジーメンス。電化工事に採用した機械類がドイツ製品だった経緯によると言われていますが、アメリカやイギリス製が圧倒的に多かったこの時代としては特異なケースでした。
▲高崎 1958-8

鋼体化後の姿。
現場の使い勝手が良かったようで、250・6000形が登場するまではデハ23と共に出動機会が最も多かった車両でした。
▲高崎 1980-11

1981年春に構内入換用となり、淡いピンク+白帯+前面社紋入となったデハ22。
背後の看板「カッパピア」は上信の子会社が運営していた遊園地で、流れるプールが売りでしたが2003年に閉園されています。
▲高崎 1981-2

前歴も更新時期もデハ22と同じながら、こちらは片運転台のデハ23。
▲高崎 1975-10

僚車デハ22が構内入換え用になった後も、デハ23は区間列車用として最晩年を過ごしていました。



デハ23車内には謎のテレビ画面。
ブラウン管はなく前面だけを剥がしてくっ付けたようで、一体どういう使い方をしていたのでしょうか。
▲いずれも高崎 1981-9

デハニ30形も元自社発注車で、2両在籍。
デハニ30の前身は付随車・サハニ1で、戦後台枠だけを再利用し、これに国鉄から調達した中古品のモーター・台車に新造車体を組み合わせて誕生しました。晩年はデハ20を中間に組み込んだ3連が多く見られました。
▲南高崎-根小屋 1977-8

▲高崎 1977-8

デハニ30の廃車は1981年4月とされていますが、その半年前からパンタが外され構内の片隅に据え置かれたままになっていました。




▲いずれも高崎 1980-11

デハニ30の僚車ながら、こちらは非貫通のデハニ31。
鋼体化車仲間が1981年前後に相次いで撤退する中、予備車として91年まで在籍しました。こちらは最晩年の頃、クハ21を従えて朝ラッシュ運用に就く姿です。



▲馬庭-吉井 1980-11 

デハニ31の前身は自社発注のデハニ2。
このカットが記録されて間もなく鋼体化されます。

▲高崎 1958-8 

鋼体化間もない頃の姿。
まだジーメンスの巨大パンタを載せていますが、台車・モーターは国鉄中古品(TR14形・MT4形)に換装されています。
▲下仁田 1960-10

パンタも交換され、お馴染みの姿になりました。
▲高崎 1962-3

予備車として余生を過ごすデハニ31。
区間運転はデハ23が、構内入換え任務はデハ22が担っていましたから、ほとんど出番はありませんでした。
▲高崎 1981-9

小口の貨物輸送が華やかだった時代、地方私鉄には各社オリジナルの貨車が多数棲息しており、国鉄からの直通列車に混じって凸凹編成を組んだり、旅客車の尻につながれてミキストで走る姿が日常的に見られました。

ご他聞に漏れず、上信線にも「ワ」「ト」「テ」といった自社製品が在籍。
こちらは上のデハニ31と同じフィルムにあったワフですが、隣の国鉄型に比べると如何に可愛らしいサイズだったかがわかります。

・・・ただでさえ不人気&マニアックな記事なのに、しつこくまだ続けます。



▲高崎 1960-10