2017年8月18日

1975年 熊谷から影森へ

▲秩父鉄道デキ7 影森 1975-6

カメラを持ち始めて2年目、すっかり定番の遊び場となった熊谷車両基地。
居並ぶ電機や貨車の隙間を歩き回る緊張感は、まるで「秘密基地」のようでした。この日も特に目的もなく、カメラだけ持って羽生から乗り込みます。
▲いずれも羽生 1975-6

まずはこちら、旧阪和のED383。
昼寝姿は何度となく目にしてきたカマですが、走行シーンはついに拝めないまま終わりました。2号機は当時から休車中で、部品確保用として広瀬川原にいたようですが結局会えず仕舞いでした。
 
基地を覗くといつも奥に鎮座していて、妙な安心感があったWHデキ1形。この日は1・3号機がいました。
こちらは鉱石車ヲキ1改造の車掌車、ヨ10形。
小さい体躯で異彩を放っていましたが、余り走ることはなかったようで短命に終わっています。
東武熊谷線のキハ2000形。
4番線の片隅から発着するのは相変わらずですが、セイジクリーム化されて魅力半減です。
▲いずれも熊谷 1975-6

さて、この日は初めて秩父方面へ乗車してみることにしました。
先ずは秩父で下車、広い構内の外れにいたのがWHデキ5と101。101は後にC58の補機専属になります。
▲いずれも秩父 1975-6

続いて隣の影森へ。先ほど「今日はいないな」と思っていたデキ7が小運転に入っており、パンタを上げて待機中です。
▲いずれも影森 1975-6

ここで「電車はどうした!」とツッコミが入りそうですが、当然のようにやってくるデハ100・300・500形たちは余りにも見慣れていたせいか、ロクに記録していませんでした。

電車、特にデハ100形を腰を入れて撮るようになったのは80年代、前照灯や台車が改造され些か不恰好になってからのことでした。

デキ7さよなら運転 →→ こちら

▲熊谷 1975-6

2017年8月12日

お知らせ~帰省します

▲花輪線 龍ヶ森-赤坂田 1986-8

いつも小ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
栃木へ帰省のため、しばらく更新をお休み致します。
また頂いたコメントへのご返信が遅れるかも知れませんが、併せて宜しくお願い致します。

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若さに任せて、地図も持たずに歩き回った真夏の花輪線。
数ある東北横断ルートの中でも、一段とローカル色の濃い路線でした。
 
▲いずれも横間-荒屋新町 1986-8

2017年8月9日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その10

▲東京急行電鉄デワ3041 五反田 1975-6

波状攻撃的に続けている本シリーズ、本日は東急五反田・目黒駅です。
「東急のローカル線」と勝手に呼んでいた池上・目蒲両線ですが、3000系列を追って何度か通う機会がありました。
▲目黒 1980-3

大雨にもめげず上京を決行、例によって上野・東京往復に飽きてくると私鉄接続駅巡りを開始です。この日初めて向かった五反田、佇まいは変わらぬ1面2線ながら、ホーム両側にマンションが迫る現在と違い視界が随分と広く感じます。
 
ほどなくして見慣れない電車が・・・と思ったら荷電がやってきました。
デワ3041は旧木造省電モニ13に小田急の車体を載せたもので、他の3000系列より濃いグリーンを纏っていました。
▲いずれも五反田 1975-6

一方こちらは少し時代が下った目黒。
目蒲線時代の当駅は3連の3000・7200系が発着するノンビリした駅でした。ここが地下化されて跡形もなく変貌するなど、当時は想像すらできませんでした。
▲いずれも目黒 1980-3
 
唯一の貫通・ノーシルノーヘッダーのデハ3508は戦中の火災からの復旧車です。
 一方こちらは最後の活躍をしていたデハ3700形。彼らとはこの3年後、名鉄で再会することになります。
▲いずれも目黒 1980-3

2017年8月5日

最後の運炭鉄道 その3

▲三井石炭鉱業5号 三池港 1992-12

どこまでも続く三池港のヤード・・・半日かかっても全部回り切ることができません。
しかし師走の日暮れは早く、志半ばでタイムアップです。
最後まで付き合ってくれた190㎝の構内員氏や鉄道課長さんに丁重に礼を述べて事務所を後にしました。この日は熊本に投宿です。
▲部屋から市電が望めました 辛島町電停付近 1992-12

さて、翌日も続いて三池港周辺をうろつきます。
事務所を再訪すると、職員輸送の5号機(1915年三菱製)が横付けされていました。
▲いずれも三池港 1992-12
 
近くの踏切に陣取ります。
最古参のジーメンス1号機は今日も入換えに走り回っていました。
▲いずれも三池港 1992-12

この踏切からは石炭列車が発車するシーンが望めました。
昨日も動いていた20号機がセナを牽いてゆっくりと近づいてきます。
同じ東芝製でもこちらは1949年製・自社発注の21号機。
ボンネットが直線的に、台車がスプリング式になり戦時標準型とは随分と印象が変わっています。
▲いずれも三池港-四ツ山 1992-12

次々にやって来る石炭列車に加えてかいがいしく動き回るBロコ。
結局最後までここで粘ってしまい、沿線を歩くという目論見は叶いませんでした。

最後にもう一度、事務所近くに鎮座するGE5号へ挨拶の意味を込めて1枚・・・これで撤収です。
▲三池港 1992-12

後ろ髪を引かれる思いで再会を期しましたが、三池炭鉱は1997年に閉山、後を追うように専用線も100余年の歴史に幕を下ろしました。路線の廃止・・・というより、栄華を極めた炭鉱の時代がこれで完全に潰えたような気がしました。
▲いずれも三池港 1992-12

2017年8月1日

最後の運炭鉄道 その2

▲三井石炭鉱業4号 三池港 1992-12

さて、引き続き三池港構内を巡ります。
構内員氏との奇妙な凸凹コンビも次第に慣れ、阿吽の呼吸でカマに近づくようになってきました。

この当時、三池港を周回していた本線(三池港-三池浜9.3㎞)は線路だけ残して定期列車は走っていませんでしたが、発電所までの石炭輸送(三池港-四ツ山-三池火力発電所)が健在でした。

▲三池港 1992-12
 
この日、石炭列車の先頭に立っていたのは元南海ED5154・東芝戦時標準形の20号機。といっても戦後のドサクサの中、実際は書類上だけで南海に入線することなく三池へやって来ました。
こちらも東芝戦時標準型ながら20号機より古い自社発注の17号機。現在も仲間の18・19号機が三井化学専用線で健在です。
▲いずれも三池港 1992-12

 奥に止まっていたBロコ群が見え、小走りで近づきます。
ジーメンス製2号機と三菱のコピー機・5号機が仲良く休んでいました。190cm氏曰く、2号機は予備、5号機は1号機と共に毎日のように動いていているとのこと。
一方裏にいたのは完全な休車(廃車?)だった自社製の14号機です。
▲いずれも三池港 1992-12

こちらは構内入口近くにいた1908年・GE製の5号機。
きれいに整備されていますが既に戦線離脱しており、車止がついていました。



5号機の隣にいたこちらは謎の貨車「検重車」。
Wikiなどに詳しい解説がありますが、要は「貨車の重さを積荷ごと計量するための秤の正確さを検査する車両」といったところです。国鉄ですら10数両しかいなかったこんな珍車を有していたところは流石というべきでしょうか。
▲いずれも三池港 1992-12
  
・・・とここまで書いて枚数が結構いってしまいました。しつこく続きます。
▲三池港 1992-12