2017年3月25日

館林駅のスナップから

▲東武鉄道ED5019・5002 館林 1975-10

本日は自転車で乗り付けてはスナップしていた館林駅の点景からです。
あれだけ輻輳していた貨物がなくなり、橋上駅舎になりましたが全体的な雰囲気は変わっていない気がします。

1番線は佐野線。
1973年までは73・78系が朝のラッシュ時に走っていましたが、途中駅のホーム有効長の関係で4両編成が入線できなかったせいでしょうか、3050系に早々と役目を譲っています。
▲館林 1973-12

こちらは末期の73系2連。 
▲佐野市 1973-6 

2番線は伊勢崎線上り。
この当時の急行「りょうもう」は北千住までノンストップで、ここから乗り込む客も多く最も華やぐホームでした。
▲いずれも館林 1975-6

3番線は伊勢崎線下り、2番線とは逆に「りょうもう」からどっと客が吐き出されてきます。こちらは浅草方。
▲館林 1974-10

こちらは伊勢崎方、4番線・小泉線ホームから3番線を望む。
▲館林 1974-2

館林を発車した太田行8000系。
▲館林 1973-6

4番線は3番線の先端部分を区切った小泉線専用ホーム。
こうした構造は国鉄ターミナル駅から発着するローカル線に良く見られます。
▲館林 1974-6

4番線の先端から。
珍しく字幕にきちんと表示が入っています。
▲館林 1975-6

こちらは5番線です。
「予備ホーム」という名がついていますが、実際はほとんど貨物専用でした。
▲館林 1974-10

ED5052は東上線から杉戸機関区に移ってきました。
5051と共に1台車1モーター・クイル駆動の先進的なカマでしたが、保守面から敬遠されて2両の少数派に留まってしまい、78年に引退しています。
▲館林 1975-6

側線に休むED5002。ここから飽きもせずいつまでも入換を眺めていました。
▲館林 1974-2

最後はこれまた庭のように出入りしていた館林検修区。
駅から通用口までの小道を歩いていると、隣接する「正田醤油」の工場からいつも麹の匂いがしていました。
▲いずれも館林検修区 1973-6

2017年3月22日

雨の天北線

▲天北線 安別-飛行場前 1987-8

1987年夏のこと、「最果て」のイメージを撮りたくなり天北線へ。
当時の道内には夜行急行「まりも」「大雪」「利尻」が走っており、周遊券での旅に重宝していました。
▲急行「利尻」 音威子府 1987-8

音威子府で夜明けを待って天北線の始発に乗り換えます。生憎と外は雨が蕭々と降るばかりですが、原野に囲まれた安別で下車。安別はJR発足と共に駅に昇格した仮乗降場です。
▲安別 1987-8

駅近くの線路端から。
遠くクッチャロ湖を望み、あとは広大な原野だけの最果てらしい風景でした。3枚目、一見風景だけですが、豆粒のように列車が写っています。
▲いずれも山軽-安別 1987-8

好転する気配のない空模様に露出も限界、ついに根負けして稚内を目指します。
途中、浜頓別で10分ほど停車。かつて分岐していた興浜北線は既に廃止されていました。
▲浜頓別 1987-8

声問で列車交換。声問は無人駅ですが保安要員がいるため大きい駅舎が残っています。
▲声問 1987-8

宿を取った南稚内に着く頃、ようやく薄日が差してきました。
▲宗谷本線 南稚内付近 1987-8

2017年3月18日

新潟交通 県庁前から東関屋へ

▲新潟交通モハ11 県庁前-東関屋 1984-11

道路の真ん中にドッカと鎮座する昔ながらの駅舎-新潟交通県庁前駅は独特の存在でした。狭い路面をゴロゴロと闊歩するデンシャたちと共に、格好の題材として多くのカメラに収まりました。

まずはお馴染みのアングル、駅隣りの歩道橋から入線してくる電車を狙います。後ろの旧県庁舎もまだ現役で、こちらの建物もきちんと記録しておくべきだった・・・と後悔です。
▲県庁前 1984-11

県庁前を出てしばらくすると急に道路が狭くなり、軒先を掠めるように走ります。
▲いずれも県庁前-東関屋 1984-11

全線が健在だった当時の東関屋。立派ながら年季の入った木造駅舎があり、やたら低いホーム上屋や待合所など、ローカル色満点でした。
▲いずれも東関屋 1988-5

当線のマスコット、モワ51。
81年に貨物牽引の任務から外れた後は専ら除雪用となりましたが、殆ど出番はありませんでした。
▲東関屋 1984-11

この頃は「日車標準型モハ&小田急1400形クハ」という布陣に混じって、異色の1形式1両、クハ36・37・39もいました。

まずはこちら、クハ36。戦後製のモハ16(初代)を電装解除したもので、小田急車体ながらこちらはデハ1350形を載せています。
▲いずれも東関屋 1988-5

旧国鉄キハ04のクハ37。前面が2枚窓に改造されていますがキハの面影を良く残しています。
▲東関屋 1984-11

こちらは旧西武のクハ39。全国に散った旧武蔵野デハ320形の一派で、蒲原モハ71も仲間です。
▲小中川 1984-11

こちらは名物の旧伊那電・モハ16(2代)の車体。
日車標準型への更新に伴ってお役御免となったモハ14やクハ38の車体もありました。
▲いずれも東関屋 1984-11

この2両は単なる倉庫ではなく、車庫と一体化した作業所になっています。ドアもそのまま(?)使われており、このアイデアにはすっかり感じ入ってしまいました。
▲いずれも東関屋 1988-5

軌道線がなくなった東関屋はバスターミナルや旅行センターを併設した新駅舎になり、様相は一変します。JR新潟駅へのアクセス重視路線に舵を切り起死回生を図りましたが、旅客減に歯止めは掛かりませんでした。
▲クハ45 東関屋 1988-5

2017年3月14日

秩父デキ7 最後の日

▲秩父鉄道デキ7 熊谷 1976-7

再開第一弾は40年前のネガからお送りします。

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1976年7月31日、秩父のEE機・デキ7が引退の日を迎えました。
当時としては珍しい電車を牽引したさよなら列車が走るという情報を聞きつけて、熊谷へ。
ホームから様子を窺うと職員や地元団体有志が出発式の準備中でした。といっても切迫感はなく、至ってゆるゆると進めているようです。
横断幕も手作り感満載です。牽かれる電車はデハ500形でした。
派手な飾り付けやペイントのない、好ましい風体になりました。いよいよ出発です。
▲いずれも熊谷 1976-7

現在なら追いかけるところですが、発車を見送った後は高崎に向かいます。
目的はこちら、新製間もない上信電鉄1000系の実見でした。
ほんの小1時間ですが、その間も色々な列車を眺められるのが高崎の魅力です。
▲いずれも高崎 1976-7

折返し列車の時間に合わせて熊谷へ舞い戻ってきました。
安直極まりないですが、往路を見送った同じ場所で待ち受けます。
復路がやってきました。オヤ・・・と思ったら往きと違う看板を付けています。

見物人は少なく、終始ノンビリした雰囲気の中、ロープも張られず構内を歩き回るのも自由。俄かファンでごった返す現在のイベントのような殺伐さもありませんでした。
▲いずれも熊谷 1976-7

この列車は熊谷-三峰口間の運転でしたが、途中影森から貨物列車に「変身」した由、思ったより粋な仕立てだったと後で知りました。
▲熊谷 1976-7