2017年4月26日

初信州へ 1974年

▲EF6320 横川 1974-3

長野の地を初めて踏んだのは1974年の春休み、小学校の「卒業旅行」のことでした。
尤も、当時はそんな小洒落た言い方はなく、徒党を組んで撮り回ってきた同級生らと、散り散りになってしまう前に遠出しておこうという算段でした。
▲高崎 1974-3
 
という訳で東武線始発列車で伊勢崎経由、まずは高崎へ。
行きがけの駄賃というには今は勿体ないですが、目に入った列車をスナップです。115系冷房車は登場したばかりでした。
▲いずれも高崎 1974-3

この日は急行「妙高」を奮発、初めての車窓の興奮冷めやらぬうちに長野県入りです。
まずは軽井沢で下車、目的はEF63と特急の連結シーンでした。

181系「あさま」を連結していざ碓氷を下ります。
▲いずれも軽井沢 1974-3

京福から里帰りした10000(→EC401→京福テキ511)も見物しています。
▲軽井沢駅前 1974-3

次は上田へ。目的はもちろん別所線ですが、真田傍陽線の廃線から2年、こちらも存廃問題が俎上に上がっていた頃でした。
▲いずれも上田 1974-3

子どもの訪問者は珍しかったのでしょうか、カメラを向けていると駅員さんが話しかけてきました。二言三言交わしてから「ちょっと待ってな」と一旦引っ込んで、今度は着札やら記念切符やらを持ってきてくれました。
▲駅員さんからのプレゼントです

さて、散々寄り道してようやく長野へ到着です。既に正午を回っていました。
先ずはこちら、地上時代の長電長野駅。ちょうど地下化工事が始まろうとしていました。
▲いずれも長野 1974-3

これだけスナップすると踵を返して次は国鉄特急。
初見参の381系も新鮮でしたが、ここでしか見られない「しなの」と「白山」の顔合わせを狙います。
▲同行者が写ってしまいました いずれも長野 1974-3

日帰りの貧乏旅ですから、一カ所に長居はできません。
入場券やDJスタンプなどをそそくさと集めると、急いで上り列車に乗車、目指すは屋代です。

屋代での目的はもちろんこちら、長電河東線(→屋代線)。
碌に記録できないうちに引退してしまった、デッカーこと旧東武デハ3形のモハ411がポツンと停まっていました。
まだ貨物が走っていた頃で、定山渓からやってきたED5102が待機中です。
▲いずれも屋代 1974-3

さて既に陽が傾いて、そろそろタイムアップですがまだ粘ります。
最後は小諸で下車。入場券やスタンプ集めで半端な時間を潰したのだと思いますが、この時はわざわざ「小諸懐古園」まで往復、保管されていたC56144を撮っています。
▲小諸懐古園 1974-3

こうして小学生最後の旅も終了、再び碓氷を越えて帰途につきます。
この峠の鉄路自体が消えることになろうとは、当時は夢にも思いませんでした。
▲長野 1974-3

2017年4月22日

一期一会の北恵那鉄道

▲北恵那鉄道モ561ほか 中津町 1976-7

1976年夏休みのこと、上野から信越線で長野、更に中央西線から新幹線経由で戻る「一筆書き大回り旅」で立ち寄ったのが北恵那鉄道でした。

長野から夜行急行「きそ5号」に乗車、4:20着の中津川で降りて北恵那の始発列車を待つか迷いましたが、早朝深夜にしか拝めない特急「金星」見たさに一旦名古屋まで往復です。
▲いずれも名古屋 1976-7

Uターンして中津町へ。
・・・とそこへ午前最後の上り列車がやってきました。このまま夕方までお休みです。


末期の主力、モ560形。
1926-27年製・旧名鉄モ560形(→モ670形)で、形式・車番は名鉄時代を名乗っています。

こちらは愛電の木造車を出自とするク550形。簡易鋼体化されていますがトラス棒など古めかしい外観はそのままです。



自社オリジナル、1924年・梅鉢製の木造車デ2。入換用として最後まで健在でした。




こちらも入換用のデキ250形。名鉄からやって来て一度も本線を走ることなく終焉を迎えます。
▲いずれも中津町 1976-7

早くも1972年から朝夕6.5往復だけの運行、あとはバス任せという末期症状を呈していました。結局、乗車も走行シーンを見ることも叶わぬまま昼寝姿を一瞥して終了、その後豊橋機関区・豊鉄市内線・名鉄・・・と早回りの旅を続けました。
あの時「きそ5号」を未明の中津川で降りていたら・・・と悔やむも後の祭りでした。

豊橋鉄道市内線 →→ こちら

▲中津町 1976-7

2017年4月18日

和田岬線の旅

▲山陽本線DE101053ほか 和田岬 1990-8

さて嵐電の後は叡電か京津線・・・と普段ならこうなりますが、この日は一路兵庫県へ。
向かったのはこちら、和田岬線こと山陽本線和田岬支線。朝夕しか動かない、座席のないオハ64を体験するのが目的でした。
▲兵庫-和田岬 1990-8

兵庫駅の専用ホームで待っていると、DE10に牽かれてやって来ました。
広い構内ですが、左側の側線の辺りは後年マンションだらけになってしまいます。
▲いずれも兵庫 1990-8

凄まじい混雑と聞いてきたので身構えていると、まだラッシュにかかっていないのか意外にまばらでした。普通のスハ43も連結されていますが、ここは当然オハ64に乗り込みます。
▲いずれも兵庫 1990-8
 
▲兵庫-和田岬 1990-8

工場地帯を眺めているうちに、2.7キロの旅はあっという間にオシマイです。
昼間は列車が来ない和田岬ですが有人駅で、入場券まであったのは意外でした。
▲和田岬 1990-8

帰路もガラガラ、拍子抜けですがお蔭でじっくりと車内を観察できました。
この名物列車も90年秋にキハ35に交代、更に2001年には現在の103系へと変化していきます。

▲兵庫 1990-8

2017年4月14日

京福嵐山線 西院にて

▲京福電鉄モボ621 西院-三条口 1990-8

性能に懐疑的だったAF一眼でしたが、マニュアル機の衰退ぶりについに根負けして1990年に導入。試運転を兼ねて最初に訪問したのが嵐電こと京福嵐山線でした。

早速西院車庫へお邪魔します。
お馴染みのモボ111・121形に混じって竣工したばかりの更新車・モボ622もいました。
モボ622。斬新なデザインは最新鋭のモボ2001形にも引き継がれました。
▲いずれも西院車庫 1990-8
 
▲いずれも西院-三条口 1990-8

その後蚕ノ社から太秦辺りに転戦、しかし京都の酷暑は想像以上に応えてしまい、早々と退散する破目になりました。
▲いずれも蚕ノ社 1990-8

非冷房ながら一番前は特等席、全開の窓から風を全身に浴びます。


太秦駅に進入するモボ302。

モボ113の運転席。ワンマン対応で改造を受けたせいでしょうか、随分近代的に見えます。
▲いずれも太秦 1990-8

西院車庫(右側)から出庫、大宮に向かうモボ116の回送列車。
▲西院-三条口 1990-8

この頃はまだ気炎を上げていたモボ111・121形ですが、その後次々にモボ501形以降に引き継がれて96年までに消滅しました。最古参ながら更新車体のモボ101形は未だ全車が健在、ただちょっと微妙な色加減ではあります。
▲西院車庫 1990-8