2018年4月22日

岩手開発鉄道 雨の日頃市にて

▲岩手開発鉄道キハ202 日頃市 1988-9

一日5往復、うち2往復は途中駅止まり。
岩手開発への訪問を尻込みさせていた大きな要因は、立地に加えてこの列車本数でした。

盛の駅前に投宿した翌朝、始発列車で岩手石橋まで乗ったはいいものの生憎の大雨です(→こちら)。次の上りは6時間後・・・折り返しの2分間で即断、沿線を撮り歩くというプランを断念してそのまま取って返すことにしました。
▲岩手石橋 1988-9

さて撮影ポイントを恨めしく眺めながら、隣の日頃市駅で下車。
せめて当駅止まりの区間列車をスナップしようという算段です。待つこと暫し、盛から下り2番列車がやって来ました。
▲滅法暗いのでピンボケです 日頃市 1988-9 

到着するや、貨物列車を待避するため一旦転線して片隅で一休みです。
貨物がやってきました。
1968年新潟鉄工製、主力のDD56はRの利いた屋根と庇が特徴です。
貨物が行ってしまうと再び転線、乗客はゼロながら律儀に上りホームへ入ってきました。
▲いずれも日頃市 1988-9
 
旅客の主役は異色の1形式1両、キハ202。
ここまで飾り気がない車両は珍しいですが、一旦眼にしたら忘れないスタイルです。

85年に廃車になったロッド式のDD4341が、ナンバーを外されてくたびれた姿を晒していました。予備車のキハ301は夕張鉄道時代の面影を残しています。
▲いずれも盛 1988-9

甚だ消化不良ながら、一応「乗って撮って」だけは果たしました。
これにて本日の予定は終了、駅前旅館の女将さんに作って貰った特大のおむすびを広げながら、大船渡線の列車を待つことにしました。
▲盛 1988-9

▲かつては猪川以外は全て有人駅でした
 
▲晩年、キハ301は動く機会が多かったようです
 
▲親切だったキハ202の運転士さん。気軽にスナップに応じてくれました

2018年4月16日

高崎駅のスナップから

▲上信電鉄デキ3 高崎 1974-12

上信越方面へと次々発車する優等列車に各線ローカル電車、八高線のDC、そして上信電鉄の奇々怪々な鋼体化車・・・新幹線開通前の高崎駅は、多彩なデンシャが見られるという点では全国有数ではなかったかと思います。

熊谷と並んで「ちょっと足を伸ばして・・・」と思いついては向かっていた高崎駅ですが、本日はカメラを持ち始めの頃、1973-75年のスナップからお送りします。
▲181系下り「とき」 高崎 1973-7

まずはこちら、0番線の上信電鉄です。
この頃、鉄道誌には殆ど登場せず滅法影が薄かった上信線でしたが、1973年の初訪問ではどんな電車がいるかすら分からず、ピンク基調の塗色を見て驚いてしまいました。

0番線先端からのファーストショットはクハ300形でしたが、この後幾度となくここからレンズを向けるようになります。
▲高崎 1973-7
 
最新鋭のデハ200形に混じって多彩な鋼体化車もぞろぞろと屯ろしています。
こちらは木造省電を出自とするクハニ13で、上毛電鉄を経てやって来ました。
デハ21は1925年製・自社発注の木造車を戦後鋼体化したものです。
ジーメンス機の陰に隠れて、小運転を黙々とこなしていた旧伊那電のED316。
この後青色部分がピンク→ピンク一色→茶色一色へ、更に前面に社紋がついたりと目まぐるしく変化していきます。
▲いずれも高崎 1974-12
  
続いては上信越線・下り特急専用ホームともいうべき1番線。
新幹線開通と共に役割を失い、2004年には1番線自体がなくなってしまいました。
▲いずれも高崎 1974-12

2番線は高崎線上り列車の発着もありましたが、上信越方面への優等列車やローカル電車がメインでした。右に見える高崎駅舎もまだ改築前です。
▲いずれも高崎 上・1973-7 中下・1974-3

2番線ホームの先端を区切った3番線は、現在まで続く八高線専用ホーム。
初訪問の頃は10系でしたが、この後間もなく20・35系へと世代交代が進みます。
▲いずれも高崎 上・1973-7 下・1975-6

4-6番線は上信越線、両毛線、吾妻線の各線ローカルが輻輳。
これは現在も同じですが、発着番線がこれほど定まっていないというのもあまり例がないでしょう。
▲いずれも高崎 上・1973-7 中・1974-3 下・1975-6

碓氷を越える80系もやって来ます。
▲高崎 1975-2

そして7-8番線は高崎線上り。
183系1000番代「とき」はデビューしたばかりで、181系を見慣れた眼には随分と新鮮に映りました。
▲いずれも高崎 1974-12

行き交う電車たちに混じってやって来るEF12やEF62の貨物も見逃せません。
▲いずれも高崎 上・1973-7 下・1975-6

この頃は「とき」の一部を除いて全列車が停車していました。これだけの大ターミナルだから当然と思っていましたが、現在の新幹線「かがやき」は全て通過、かつての栄華は見る影もありません。ちょっと北陸方面への直行客を優遇し過ぎでは、と思う高崎ビイキの管理人です。
▲157系も終焉が近付いてきました 高崎 1975-6

2018年4月10日

「No.1フィルム」と東武電車

▲東武鉄道3050系 佐野市 1973-6

色褪せた紙ケースに「No.1」と書かれたフィルムには、毎日のように見てきた東武電車や電機が写っています。

尤も、どのコマもピンボケだったりひどく斜めに写っていたり、はたまた真っ黒で何を撮ったのか分からなかったりと、碌なものがありません。同級生と交換したのか、コマが抜けていたりもします。しかし、初めてデンシャにレンズを向けた記録にはやはり特別な思い入れがあります。

初期の習作としてプリントもせずに忘却の彼方でしたが、デジタルの恩恵でトリミングや露出補正が簡単になり、何とか見られる画になってきました。
▲佐野市 1973-5

初めてのフィルムは勿論モノクロ、一番安かった「コニパンSS」の20枚撮りでした。
同級生らと喜び勇んで写真屋に向かい、宝箱のように大層大事そうに持ち帰った記憶があります。
▲佐野 1973-5
 
▲いずれも佐野市 1973-5

下校途中に寄り道して眺めるのが日課だったED4010・4020形はまだ1灯。
この1-2週間後だったと記憶しますが、他形式同様にブタ鼻になってしまいました。

▲いずれも佐野市 1973-5

一方カラーの「No.1」はこれまた一番安い「フジカラーN100」。
安いといっても子どもの小遣いでは一枚ナンボですから、勢い慎重に撮らざるを得ませんでした。

しかしそんな中、迷わずレンズを向けたのは1800系急行「りょうもう」号。
佐野線の電車は3050系が行ったり来たりの繰り返しですが、一閃は葛生発・りょうもう6号でした。こちらは日曜の早朝、葛生へ向かう回送列車です。
▲いずれも佐野市 1973-6

今度は浅草行の客扱い列車を待ち受けます。
▲いずれも佐野 1973-7
 
庭だった佐野市駅では、廃レールに座り込んで飽きもせず列車を眺めていました。
中線のあるこの駅ではいつも離合に出会えましたが、貨物が貨物を追い抜くという異色のシーンも当線ならではでした。
▲いずれも佐野市 上:1974-6 下・1973-6
 
▲田島-佐野市 1974-12 (「新塗装登場」から再掲→→こちら

▲佐野 1973-6 (「東武鉄道 最後の54系」から再掲→→こちら) 

この頃から自転車を駆りながら撮り回る日々が始まります。
しかし、ひっそりと消えていく54系、衝撃的なセイジクリーム色の出現、そして貨物列車自体の全廃などなど・・・忘れ難いイベントが次々にやって来るとは、当時は知る由もありませんでした。
▲佐野市 1973-6
 
▲佐野 1974-6