2017年2月21日

琴電琴平線 2013年

▲高松琴平電鉄300+23 羽間-榎井 2013-11

多彩な電車に惹かれて何度か通った琴電ですが、1000・3000・5000といった戦前派ばかりに目が行ってしまい、いつの間にやら志度・長尾線偏重になっていました。

一方で琴平線はというと、既に主役が旧京急車や阪神ジェットカーに替わっていたせいもあって、仏生山車庫で昼寝している姿をスナップしてオシマイ、ついぞ乗らないまま時間が過ぎてしまいます。
▲琴電最後の自社発注車・1010形 仏生山 1985-5
 
▲こちらは現在も在籍中の名物デカ 仏生山 1985-5
 
▲阪神ジェットカーの車体を載せた1060形 仏生山 1985-5
 
そんな訳で初乗車なったのは2013年秋、観光旅行の道すがらのこと。復元された300+23編成が「うどん県」PR電車として走るというので、強引にルートに組み入れました。

先ずは発車前の仏生山車庫を覗きます。茶色(個人的にツートンが好みですが・・・)になった300が待機中。製造当初の楕円窓も復元されています。
▲仏生山 2013-11

生憎の雨模様ながら沿線へ転戦、陣取ったのは羽間-榎井間の土器川橋梁。
石積の橋脚は開通時からのもので「近代化産業遺産」に指定されています。合間にやってくる旧京急車や京王車も捕まえます。
▲いずれも羽間-榎井 2013-11

せっかく来たから、と合間にうどん店をハシゴなどしているうちに、折返し列車の時間です。雨は止む気配がなく、仕方なく同じ場所で構えます。
▲重いモーター音を唸らせてやって来ました
 
▲結局、往路とほぼ同アングルです
  
▲榎井駅に近い「むさし」のカレー南蛮、絶品でした

帰りはこれまた「近代化・・・」に指定された滝宮駅。派手なペイントは微妙ですが、特徴的な意匠の駅舎が健在です。
▲いずれも滝宮 2013-11

最後はこんぴらさん参拝の帰りに琴平でスナップ。
天候といい集中して撮影できなかったことといい、ちょっと消化不良ながら久々に堪能した吊り掛けサウンドでした。
▲いずれも琴電琴平 2013-11

2017年2月17日

秋の津軽鉄道

▲津軽鉄道キハ24023 嘉瀬 1988-9

「ストーブ列車」が観光資源として定着した津軽鉄道。
南部縦貫、弘南鉄道と回ってきた1988年東北私鉄巡りの終盤戦、早朝の芦野公園に降り立ちました。田園風景が映える秋に来たのは初めてです。

乗って来たのは国鉄キハ20形に準じた自社発注車、キハ24000形です。
▲キハ24023 芦野公園 1988-9

清冽な空気を目一杯吸い込みながら、畦道を川倉まで歩きます。
既に刈入れの時期を迎えていました。
▲いずれも芦野公園-川倉 1988-9

旧国鉄キハ11のキハ240025・240026も活躍中でした。
転入車ながら、自社発注のキハ24000と同形式を名乗っています。キハ22はまだ入線していない時代でした。
▲芦野公園-川倉 1988-9

川倉周辺は広大な田園風景が広がる純日本的な風景です。
車体前面の派手な看板はビミョーですが、折返しごとに付け替えているようでした。
▲芦野公園-川倉 1988-9
 
▲いずれも川倉-大沢内 1988-9

嘉瀬まで戻り、金木寄りの築堤を狙います。勾配を一気に駆け上がってきました。
▲嘉瀬-金木 1988-9

同じ場所でちょっと演出。広角レンズにPLフィルターを装着して空を強調します。
デジタル処理など考えられない時代、よく使った手法でした。
▲嘉瀬-金木 1988-9
 
嘉瀬は一人勤務の女性駅長がおり、花壇が丁寧に整備された、ほっとするような駅でした。現在は無人化されてしまっています。

▲いずれも嘉瀬 1988-9

日が傾く頃、五所川原に戻ります。
▲いずれも五所川原 1988-9
 
客車列車には会えない旅でしたが、国鉄型DCと、それに何より沿線風景を再発見できたことは大きな釣果でした。DCたちが消えた後は疎遠になってしまい、この冬こそストーブ列車を・・・・と毎回決意だけはする昨今です。
▲嘉瀬-金木 1988-9

2017年2月14日

1974年 熊谷にて その2

▲秩父鉄道デキ103 熊谷 1974-10 

鉄道少年時代の「庭」は東武線佐野市・館林駅や両毛線でしたが、その延長のような存在が高崎と熊谷でした。行き交う特急列車や電機、そして私鉄電車も眺めることができたので、少し足を延ばそうと思い付くと必ず向かう場所でした。

熊谷へは館林から羽生経由が定番コースです。
羽生にはいつも貨物が停まっていました。この駅も橋上駅舎化で様相が随分変わっています。
▲いずれも羽生 (上・中)1973-12 (下)1974-3
 
真っ先に向かうのはいつも車両基地。まずはこちら、急行「秩父路」に充当されていたデハ302。
▲熊谷 1974-10

こちらはヘッドサインが一回り大きいデハ301。
▲熊谷 1975-6

電機たちも生抜きのWHやEEを始め、バラエティに富んだ顔触れでした。
WHデキ5のキャブ。 
▲いずれも熊谷 1974-10

旧阪和のED38もまだまだ現役です。
▲いずれも熊谷 1974-10

ワムやワラより一回り小さいワフ32。
▲熊谷 1974-10
 
この春に見かけた、更新されずに放置されていた初代クハニ29の姿は、もう消えていました。
新幹線の高架がこの真上に屹立するのはまだ遠い先のことでした。

1974年 熊谷にて その1 →→ こちら

▲熊谷 1974-10

2017年2月10日

フラッシュバルブのこと

▲ナハネフ22「ゆうづる1号・2号」 上野 1975-1

突然ですが、これ何かお分かりでしょうか。
よく「フラッシュ」と呼ばれますが(私も呼んでいました)、正確にはフラッシュガン(発光器)とフラッシュバルブ(閃光電球)だそうです。
▲実家から出てきました

「昔のアニメで見ただけ」という方も多いと思いますが、1970年代半ばまで夜間の撮影には欠かせないものでした。

「ヤシカエレクトロ35」にストロボはついていませんでした。
既に、内蔵されたコンパクトカメラも発売されていましたが、小さすぎて鉄道撮影には光量が足りません。かと言ってホームの雑踏では三脚も立てにくいし・・・そこでこれの出番です。
▲183系「あまぎ」 東京 1976-3

10m先まで写せる「5B電球」が1個50円程度、もちろん1発で1枚ですから、勢い相手を選んで写さざるを得ません。しかし、おもむろに本体を取り出してカチカチと反射板を広げ、電球を装填し「ビカッ」とやるのは爽快感がありました。

ストロボと違い光量が調節できないため、相手によってはお白粉を塗ったような顔になることもあり、格下の「3B電球」だと逆に光量不足になったりして、距離と光量の関係に悩んだりしました。
▲5B電球使用 上野 1975-10
 
▲こちらは3B電球、やはり光量不足です 上野 1976-3

電源は22.5ボルトの「積層電池」。閃光の一瞬しか流れませんが、かなりの高電圧です。
▲今は光りません

特急や寝台列車が全盛だった70年代、列車の周りにはいつも人だかりがしていました。あちこちで記念撮影のストロボが焚かれる中、フラッシュの一閃は全く違和感がありませんでした。しかし残念なことに、77年からの「ブルトレブーム」で運転士に浴びせる不心得者が跳梁し始め、ついに使用禁止の貼紙が出現します。
▲スハネフ14「紀伊」 東京 1975-8