2017年6月22日

上田から上田原へ

▲上田交通モハ5251 上田-城下 1985-1

雑誌のコンクールで見掛けた、逆光線の千曲川橋梁を行く丸窓電車が強く印象に残り、初めて同じ位置に立ってみたのは1984年初夏のことでした。

上田を出た電車は左へ90度カーブし、急に視界が開けたと思うと千曲川を跨ぎます。トラスの処理が難しいですが、朝日に反射する川面と電車の組合せを狙います。
▲いずれも上田-城下 1986-2

さて別所線に来ると必ず立ち寄るのはこちら、上田原車庫。
凡そ新建材などとは無縁な、年季の入った凄まじい車庫や駅舎が昇圧時まで健在でした。
▲いずれも上田原 1986-9 
 
車庫と一体化した下りホームに丸窓電車が到着です。


旧東急デハ3300形の3310。
1日1往復、中塩田までの区間列車の限定運用でした。


車庫で昼寝中のこちらは旧長野電鉄モハ201のモハ5261。


こちらも長電からやって来たモハ5271。深い屋根に巨大パンタ、リベットだらけの川造スタイルの原型を良く留めています。


ライトやパンタが外された旧富士急のモハ4257。この後里帰りして復元されています。


旧宇部デキ11を出自とし、流転の末上田にやって来たED251。ナンバーは国鉄時代を名乗っていました。
旧信濃鉄道・モハ5370形の車体も工作所として最後まで残っていました。
▲いずれも上田原 1984-6

高架になる前の上田駅。
狭い跨線橋や「別所線のりば」の案内看板、小振りな木造の事務所・・・一昔前の乗換駅らしい雰囲気が感じられる場所でした。
▲いずれも上田 (上・1984-6 下・1985-1)

上田交通昇圧の頃 →→ その1 / その2

▲上田 1986-9

2017年6月18日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その5

▲東京急行電鉄デハ5001 大井町 1980-3

しつこく続く本シリーズ、今回は東急大井町駅からです。
新玉川線開通前の旧田園都市線は東横線に次ぐ動脈格の筈ですが、やって来るのは4連ばかりでノンビリした雰囲気が漂っていました。
▲大井町 1974-8

3000系一派を始め、青ガエル5000系、7200系とバラエティ豊かで多くのデンシャが見たい鉄道少年にとっては魅力的でした。1975年に8500系が登場すると、本線系統からの7000・8000系らが主役となり、3000系列は一線を退き始めます。

▲いずれも大井町 1974-8

続いて新玉川線が開通、こちらがメインルートになり営団との乗入れが始まると役目が変わって行きました。

▲大井町 1974-8

2017年6月14日

長電河東線 1985年

▲長野電鉄モハ1003 屋代 1985-4
 
長野電鉄屋代線(当時は河東線)は中堅私鉄の長電にあって一段とローカル色の強い路線でした。ここでは唯一の半鋼製車・モハ1000形一派が最後の力行を見せていました。
屋代の駅業務は国鉄に委託されていましたが、途中から幅が狭くなる跨線橋、年季の入った待合所や上屋など、往年の乗換駅の雰囲気を色濃く残しています。
▲いずれも屋代 1985-4

この日は雨宮で下車。
数年前に訪ねたときはクハ1550形との2連も動いていましたが休日のせいでしょうか、やって来るのはモハ1003・1501の単行ばかりです。
▲いずれも雨宮-岩野 1985-4

本数は少なく90-120分に1本程度。
特段目的のない気まぐれ旅だったので2本で撤収、今考えると勿体ない話ですが長野市内への観光に向かってしまいました。
雨宮には河東鉄道時代からの可愛らしい駅舎が健在。晩年は無人化され根こそぎ撤去されてしまいました。
▲いずれも雨宮 1985-4

無骨な戦前のデンシャと違って大人しいスタイルだったモハ1000形たちですが、「赤ガエル」こと2500形の増殖でこの半年後にはモハ1500形2両だけの小所帯に。しかし慎ましく残った彼らも93年、今度は営団からやって来た3500形に主役の座を明け渡すことになります。
▲岩野 1985-4

2017年6月10日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その4

▲京王帝都電鉄クハ3756 渋谷 1974-5

70年代お気楽写真シリーズ、本日は渋谷駅からお送りします。
まずはこちら、京王井の頭線。小奇麗ながら「渋谷マークシティ」に埋没してしまった現在ですが、旧駅ビルのこの時代はゴチャゴチャと雑多な店がひしめく迷路を通り抜け、よく分からぬまま気が付くと改札前に立っていた、という印象でした。

井の頭線の主役はもちろん3000系。
この頃は新性能通勤車、まして私鉄となるとカメラを向ける者は全くおらず(右端は同級生)、ぞろぞろと降りて来た乗客が怪訝そうにこちらを見ています。
▲いずれも渋谷 1974-5

1000系はまだ前サボを付けていました。2面2線のホームは現在も変わりませんが、空がとにかく広かったと感じます。
▲いずれも渋谷 1974-8

一方こちらも変転目まぐるしい東急東横線。
各地へ離散した7000・8000系が第一線で動いていました。当時は特段気に留めなかった彼らですが、特に原型の初代7000系など改めて見ると格好いいデンシャだったと感じます。
▲いずれも渋谷 1974-5

2017年6月6日

上野駅 23:30

▲急行「妙高5号」 上野 1978-9

1970年代、長距離列車全盛期の上野。
18時を過ぎ、東北・北陸方面への夜行列車が続々と発車して行く一方で、長途の旅をようやく終えた上り列車も混じり最も華やぐ時間帯がやってきます。
▲いずれも上野 1978-9

24系へ世代交代した後も、19・20番線の光景は変わりません。
寝台特急の周りにはいつも人だかりがありました。


▲いずれも上野 1978-9

23時を回り徐々に落ち着いてくると、後に控えるのは福島や長野方面への短距離夜行でした。中でも、最も遅く発車する客車急行が23:58発・直江津行「妙高5号」。

8両編成ながら律儀にもロネ・ハネが3両連結されています。
たった5両の座席車ですが、登山シーズンも終わったこの日は1ボックスに1人程度で、ホームは閑散としていました。
▲いずれも上野 1978-9

「妙高」は多くの夜行列車が廃止された1982年のダイヤ改正後も、14系化され辛うじて残ります。その後は細々と命脈を保っていましたが長野新幹線開業に先立つ93年、上野駅から静かに姿を消して行きました。
▲上野 1978-9