2016年7月1日

貨物王国・葛生

tobu▲東武鉄道ED5001 葛生 1974-10

かつて東武佐野線の貨物列車は、葛生で産出する石灰石やドロマイト(セメント原料)輸送で隆盛を極めていました。1時間に1本しかない電車の3倍は走っていたと記憶しています。

葛生からは大叶線・会沢線・日鉄鉱業専用線などが分岐し、まさに「貨物銀座」の様相でした。自転車で出かけては次々にやってくる多彩な列車を眺めるのが楽しみの一つでした。

待機するED5050形。クイル駆動・1台車1モーターの異端機で2両のみ存在しました。
旅客ホームは1面1線しかないのに比べ、貨物線は20本近くあります。
ED5050,ED5000▲ED5051 葛生 1974-5

量産形電機の先駆的存在となったED5000形。
比較的早期に引退しましたが、3両の仲間のうち1号機が三岐鉄道へ嫁ぎ、現在も活躍中です。
東武▲ED5003 葛生 1974-10

東芝戦時標準型のED4010形も入換えに従事します。
東武
▲ED4012 葛生 1974-5 
 
ED4010形のサイドビュー。戦時設計らしく、キャブはパンタを載せるギリギリの幅しかありません。東武


 ▲ED4012 葛生 1974-5

 ヤマから下りてくるED5060形のタンク列車。
▲ED5067 葛生-上白石 1974-5

こんな列車もやって来ます。日鉄鉱業DD45形。
日鉄▲DD451 葛生-上白石 1974-5

入換を終えると、トラの空車を牽いて羽鶴へ戻って行きました。
▲いずれもDD451 葛生 1974-5 

仕業を終えて側線で休むED5060形。
葛生のヤードは1日中いても飽きることはありませんでした。
東武
ED5060
▲いずれも葛生 1974-10
  
東武鉄道は長い間、貨物輸送量で私鉄第1位に君臨し葛生はその屋台骨を支えていましたが、1997年にダンプに取って代わられました。

貨物廃止後の寂れた様子は見たくないなあ、などと思っている間に何年も過ぎましたが、現在はどうなっているのでしょうか。
▲ED5001 葛生 1974-10

14 件のコメント:

  1.  葛生は蒸気列車お別れ行事の時に行っただけです。もう一度くらい行っておけばよかったと思うけど、山手線の西側からはかなり遠くだなぁというのが、正直な感想です。

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  2. 葛生は10数年前に訪れました。がらんとした駅構内は「兵どもが夢の跡」と言う感じでした。
    貨物全盛期に行っておくべきでした。
    ED5050形は東上線にも配属があり、時々見かけました。
    1台車1モーターの直流機はこれだけだと思われますが、交直両用機では広く採用されて試作機のED46に始まりEF30やEF80が続きました。

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  3. 管理人さんの原点は、ここですね。
    東武の貨物というと、ED5xxxしか見たことがありません。
    凸型電機は入れ換えのみだったんですか?

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  4. モハメイドペーパーさん
    葛生は首都圏からは中途半端に遠くて行きにくい場所にありましたね。
    上毛電鉄なども同様だと思いますが、私は近かったので遊び場にしていました。

    1966年の蒸気列車のさよなら運転、実体験されたとは羨ましい限りです。
    私のとっては夢の世界で、当然写真でしか見たことがないのですが、蒸気が電車を牽くというのも珍しい光景でしたね。この頃は電車もまだまだ戦前型が主役、う~ん・・・この時代体験したかったです。

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  5. 三等急電さん
    貨物がなくなってからは葛生もご無沙汰していますが、ネットなどで見ると駅舎も新しくなり当時の面影はなくなっているようですね。

    ED5050を東上線で見られたとのくだりは最初「?」と思ったのですが、調べると5052は坂戸にいたのですね。その後杉戸に転属したとあり、私が見たのはその後の時代のようです。

    1台車1モーターは少数民族でしたが、EF80は好きな電機の一つで常磐線でよく撮りました。ED46(ED92)の方は田端機関区で放置されている、との情報を得て見たいなあ・・などと思っているうちに廃車されてしまいました。

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  6. maru-haさん
    東武貨物はまさに原点です。
    凸型電機のED4010・4020は晩年は千住貨物の小運転くらいでしたが、この頃は杉戸から葛生まで通っていました。

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  7. 葛生も駅舎が代わってしまいましたか。ヤードも大半がメガソーラーに化けてしまいましたし。私は残念ながら58-X(昭和59年2月国鉄ダイヤ改正)以前の賑やかだった頃の葛生は知りませんが、ここに写っている貨車たちも今となっては忘却の彼方に走り去ってしまったものばかりです。ワラ1にワム90000、テムにテラ、タキ1500に2100、住友セメントのタキ1900も…

    葛生の隣、上白石駅はかつては私鉄日本一のみならず、国鉄駅も含めた貨物発送トン数で美祢や奥多摩を押さえて日本一の座に輝いた時期もありました。今となっては秩父ですら毎時1本位しか貨物がありませんので、毎時3本位あるのは凄いですね。

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  8. 雪うさぎさん
    跡地にメガソーラー・・・使い道がない土地のお決まりパターンですね。
    この頃は電機も貨車も、とにかくバラエティに富んでいました。
    本数も非常に多く学校の帰りに見かけたのは貨物ばかりだったのを覚えています。

    貨車は余り詳しくはないのですが、テムやテラ、ワラは両毛線でも多く見かけました。
    住友私有車は近くに住友セメントがあったので沢山いました。ここのナローを撮っていない(存在すら知らなかった)のは今でも悔やまれます。

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  9. 初めまして、貨物鉄道博物館の南野と申します。

    ED5000形の東武鉄道時代のカラーは初めて拝見しました!
    この独特の台車も懐かしいですね。
    三岐鉄道では1990年代にED5060形の台車に交換しているため、形態が変わりました。
    そんな時期にED5001もED45形に編入され、ED458と改番されています。

    そして、そのED5060形も三岐鉄道入りして、ED459となっています。
    昨年より、ED5080形も形式がED5081形となりましたが、改番はされずに運用入りしています。

    ということで、現在も三岐鉄道では、3形式4輌の東武電機が活躍しています。
    また、貨物鉄道博物館では、B4形39号蒸気機関車も静態保存しております。

    そんな三岐鉄道・貨物鉄道博物館へもぜひお越しください!

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  10. メガソーラー、そう言えば同じく住友セメントの工場があった(閉鎖済)天竜浜名湖鉄道の金指駅もそうなっちゃいましたね。三岐鉄道の丹生川の鉄橋の近くにもこいつが出来てしまい、結果アングルがかなり制限されるようになったり…

    葛生絡みの輸送であと面白そうなものとしては、日本鋼管京浜まで生石灰積みコンテナを輸送していた吉沢石灰所有のチキ80000なんてものも。もしお手元に「私鉄電車のアルバム」別冊Aをお持ちなら、巻頭カラーに東武ED5060が現車16輌のチキ車を牽く写真が掲載されています。

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  11. 南野哲志様

    ご訪問ありがとうございます。
    70年代のカラーいずれも小・中学生時代の拙い作品で恐縮です。
    ED5000形は試作的要素が強く3両しかいませんでしたが、現場の使い勝手が良かったのか何故か頻繁に見かけたと記憶しています。ED458も既に車齢65年超ですが頑張って欲しいものです。

    三岐鉄道へは何度かお邪魔しましたが、今や貴重な定期貨物輸送がある路線、博物館訪問も兼ねて是非行きたいと考えております。

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  12. 雪うさぎさん
    撮影名所の丹生川鉄橋にもメガソーラー・・・ちょうど、次行きたいと思っていた矢先だけに残念です。どうも半端な土地に片っ端から作っている感じがしますね。

    「私鉄電車のアルバム」別冊は勿論持っています。
    このチキ編成、よく見かけたと記憶しています。ただ何しろ本数が多かったのできちんと記録しているか分かりませんが・・・

    話は逸れますが、本文最初にある入換車「1101」や東上線モユニを見て溜息が出てしまいました。情報と行動力があれば間に合っただけに、何とも悔やまれます。

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  13. 葛生駅が活気に満ちあふれていた時代に画像、堪能させて頂きました。
    この時代によくこれだけちゃんと撮っていましたね!
    葛生へは5700の臨時原人列車で行ったのが、ほぼ最後の訪問でした。

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  14. chitetsuさん
    館林も葛生も、丁度家から10キロくらい、サイクリングを兼ねてカメラを持つ前から行っていました。
    なので、行った回数の割には撮っている枚数はそれほど多くなく、今回アップした写真も思い切り変色したネガとの格闘でありました^^;

    逆に80年代以降はほとんど訪問しておらず、5700臨時も撮らずじまいでした。
    あとは何といっても住友セメントのナローは悔やまれます~・・・

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