2016年10月28日

社型と旧型国電と その3

▲弘南鉄道モハ3601・3613 平賀 1986-8

大鰐線で多彩なデンシャたちを堪能した翌日は弘南線へ転戦です。この頃の弘南線は東急3600系に席巻され、国電や社型は僅かに残るのみでした。
しかしここで「阪和」を見ないわけにはいきません。

この日は生憎の雨、どうも夏の東北行は長続きしない天候が恒例のようです。

大雨に降られた岩手開発鉄道 →→ こちら
秋雨に祟られた南部縦貫鉄道 →→ こちら

さて、弘前で出迎えてくれたのは、駿足で鳴らした旧阪和モヨ100形のクハ2025。
巨体のモヨにお目に掛かれるのも、高規格路線を有し、かつ急勾配に耐えうる電車が必要だった前の持主・松尾鉱業のお蔭といえます。
▲いずれも弘前 1986-8

まずは平賀の車庫を一覗き。旧国鉄クハ16で唯一当線に残ったクハ1614や東急3600系を見て回りました。三井三池の発注車、ED301も入換用として健在でした。
クハ1614の行先標示。駅名に冠した「弘南・・・」が外された頃で、安直に消されています。
▲いずれも平賀 1986-8

今日は旧阪和クハ2025・2026が2両とも動いていました。
沿線で走行シーンを狙いたいところですが、露出が上がらない中、コダクロームや6×7判では高速シャッターが切れず平賀の片隅で構えて妥協です(それでもブレました・・・)。
▲いずれも平賀 1986-8
 
庫内を徘徊しているうちに雨足が弱くなり、隣の柏農高校前まで撮り歩くことにしました。当線では左右に田圃の開けた区間の一つですが、「さて阪和型・・・」と思ったら中間に入ってしまいました。午後の下校時間帯のせいかクハを増結したようです。
▲いずれも平賀-柏農高校前 1986-8

回復の兆しのない空模様を恨めしく仰ぎながら黒石へ。黒石駅は現在と違って木造の上屋があり、お決まりの位置に昼寝中のED333、クハ化したばかりの元サハ1700がいました。


▲いずれも黒石 1986-8

丸2日に及ぶ弘南行は酷暑との格闘でしたが、釣果は十二分、反芻しながら次の目的地・小坂鉄道を訪問すべく奥羽本線の乗客となりました。
しかしその車中、阪和型を思い出しながら「素朴な疑問」が湧いてきてしまいました。
・・・・・その謎はまた次の機会に。
▲モハ2252 津軽大沢 1988-9

2016年10月26日

社型と旧型国電と その2

▲弘南鉄道モハ2252+クハ1267 新石川-鯖石 1986-8

さて新石川を下りた後は、立ち込めてきた積乱雲を入れて旧西武の川造型・クハ1267を狙います。旧身延のモハ2252とペアを組んでいました。
朝方撮ったモハ1120+クハ2251、モハ2233+クハ1613もここで捕まえます。
▲いずれも津軽大沢-新石川 1986-8

「ヘロヘロ陸橋」を渡り新石川に進入するクハ1267+モハ2252。
▲クハ1267+モハ2252 津軽大沢-新石川 1986-8

ここから隣の鯖石まで歩くことにしました。途中の「平川橋梁」に来るのは今回が初めてです。汗まみれの身体を川風に晒しながら、しばし腰を落ち着けます
▲いずれも新石川-鯖石 1986-8

川風に当たったせいか生気を取り戻し、更に鯖石方へ歩き始めます。
途中で車両交換はなく、朝からのメンバーが終日動きました。
▲いずれも新石川-鯖石 1986-8

陽はまだ高いものの、烈火のごとく降り注ぐ日差しにエネルギー切れ。
しかしクハニ以外は見たかった電車たちの力行に会えて大満足し、弘前駅前の宿に戻りました。
明日は弘南線に向かう予定です。
・・・ここでまた枚数が結構いってしまいました。しつこく次回に続きます。
▲モハ1122 新石川 1986-8

2016年10月24日

社型と旧型国電と その1

▲弘南鉄道モハ2252 津軽大沢 1986-8

「西の電車博物館」が琴電とすれば東のそれは弘南、と断言できるかと思います。
1981年夏、急行「津軽」から大鰐に降り立ち、初見参の旧富士身延・モハ2250形の凛とした姿に感激して以来、当線のウエイトは俄然大きくなりました。

それから早5年、本日は3度目の訪問時の記録をお送りします。
この頃、弘南線は東急3600系列にほぼ統一され、旧社型や国電は大鰐線に集結していました。

1日目はやはり大鰐線です。
弘前駅前に投宿後、ウロウロ道に迷いながら中央弘前へ。
場末のような中央弘前駅の風情は現在まで変わらぬままです。
モハ1120は旧省電モハ30形(→クモハ11)で、1967年に弘南にやってきました。
黎明期の半鋼製車らしくリベットだらけ、無骨&精悍なスタイルです。相方は旧身延のクハ2251。モハ2251を電装解除したものですが、解除後もしばらくモハを名乗っていました。
▲いずれもモハ1120+クハ2251 中央弘前 1986-8

最初に向かうのはいつも津軽大沢。まずここを覗かないことには始まりません。
今日は何が走ってるかな、と確認するのが恒例の楽しみですが、目が行くのはやはり買収国電です。

津軽大沢に休む旧伊那電のクハニ1270形。当初は「サハニフ400」なる形式を名乗っていましたが、国鉄買収後に制御車化、更に仙石線を経て弘南入りしました。
▲いずれも津軽大沢 1986-8

どうやら今日のクハニは運用に入らないようです。気を取り直して沿線へ移動。
今回は未開拓地で狙おうと、車窓からロケハンした小栗山で下車しました。

最初にやって来たのは旧武蔵野と国鉄のコンビ、モハ2233+クハ1613。この日は1日快速運用に入っていました。
▲モハ2233+クハ1613 小栗山-松木平 1986-8

しばらくここで陣取りました。
朝方見たモハ1120のほか旧省電モハ50形のモハ1122、旧身延のモハ2252などなど、ルーツも経歴も異なる電車たちが次々とやってきます。
▲いずれも 小栗山または小栗山-松木平  1986-8

一巡後、新石川(現:石川)まで移動しました。多くの列車がここで交換します。
▲いずれも新石川 1986-8

交換風景をスナップした後は辺りを徘徊。
新石川付近は田圃が広がり、奥羽本線を跨ぐ「ヘロヘロ陸橋」と撮れそうなポイントがありました。
・・・・と、ここで枚数が結構きてしまいましたので次回に続きます。
▲モハ2233 新石川 1986-8

2016年10月21日

湊線 最後の道産子DC

▲ひたちなか海浜鉄道キハ2004+205 金上-中根 2015-10

かつて茨城交通には数多くの道産子DCが在籍しました。
1960年代から70年代始め、北海道の私鉄路線は立て続けに廃線になりますが、在来車の代替を企図していた茨城交通にはまさに渡りに船、羽幌炭鉱や留萌から次々に入線してきました。

長年主役の座に君臨してきた彼らですが、年波には勝てず櫛の歯が抜けるように徐々に離脱して行きます。
▲キハ222 那珂湊 2015-10

2015年秋、旧留萌鉄道最後の1両・キハ2004を見送るべく貸切運転会に参加。
「さよなら列車」のようなイベントは敬遠しがちですが、茨交時代以来の訪問でしたので敢えて参戦です。この日は旧国鉄のキハ205と編成を組む仕立てがされました。
▲いずれも金上-中根 2015-10

午前の2往復が終わるとこちらで昼食タイムです。
会社側の計らいで2月に引退した羽幌炭鉱最後の1両、キハ222が開放されました。
引退から半年が経ち外見はくたびれていますが、車内を見る限り今にも動き出しそうでした。
▲いずれもキハ222車内 那珂湊 2015-10

中根付近は些か食傷ギミながら、午後の半逆光が好ましく再度陣取りました。
▲いずれも金上-中根 2015-10

間近で見たキハ2004は満身創痍の様相でした。
最後は一般列車と混結、これを那珂湊で見送って打ち止めとしました。
▲いずれも那珂湊 2015-10

道産子なき後は国鉄OBのキハ205が孤高の1両になりました。
かつて日本中に棲息した同系列も、気が付いてみれば当線・水島臨海・いすみ・小湊に残るだけになっています。このキハ2004はつい先日、はるばる九州へお輿入れして動態保存が決まった由、先ずはめでたい限りです。
▲那珂湊 2015-10