2016年7月29日

東武の奇車

モニ1473,モニ1470
▲東武鉄道モニ1473 北千住 1974-2

殆どの大手私鉄には珍奇な事業用車が棲息したものですが、多くは1970-80年代までに駆逐されました。東武はと言うと、大所帯の割にはゲテモノ的な車は少ない方だったと思います。
今回はそんな中から記録できたもののご紹介です。

荷電は各社にありましたが、赤一色という奇抜さの上、狭い側面窓や巨大パンタなど「戦前東武型」を色濃く残していたところは貴重品と言えるでしょうか。
仲間の多くは1977年頃までに消えましたが、伊勢崎・日光線系統のモニ1740形3両は83年の荷物輸送廃止まで残りました。モニ1473はその後も西新井工場の入換用として余生を送ります。
モニ1470,モニ1473
モニ1470
▲いずれもモニ1473 館林検修区 1974-7

こちらは一灯時代のモニ1742。この翌月に二灯化されました。
東武モニ
▲館林検修区 1973-6

1975年廃車のモニ1475。前面は1473と同じく均等な窓配置でした。
東武モニ▲館林検修区 1973-12

こちらは私鉄唯一のオイラン形限界測定車、ヤ1形です。
館林の浅草方、その昔ピーコックが屯ろしていた旧館林機関区にいました。
周囲にも怪しげな車がぞろぞろいますが、記録していないのは何とも悔やまれます。
東武ヤ1

同じ場所にこれもいました。貨車としてでなく、救援用として待機中です。
東武 スム501▲いずれも館林 1974-7

貨物輸送私鉄1位の東武には車掌車ヨ101形・201形が多数いました。
葛生で待機するヨ101群。この他、大叶線専用のヨ201もいました。
東武 貨車
葛生のヤードで入換中に突放されるヨ205。
▲いずれも葛生 1974-10 

しかし、ゲテモノ度ではこちらが横綱級でしょうか。
32系の更新で余った車体に手持部品を組み合わせた救援車、クエ7000形。
東武型の巨大パンタを乗せていますが動力ではなく電源確保用です。
クエ7001
東武 クエ7001▲いずれもクエ7001 春日部検修区 1980-12

救援車という用途が幸いしてか、クエ7001は1986年まで残りました。仲間のクエ7002は東上線・森林公園検修区にいましたが、こちらは1978年に廃車されています。

・・・・しかし!!
「情報と行動力さえあれば間に合った」という条件付きにすると、西新井工場の入換車モハ1101(旧デハ5)とサイリスタチョッパ試験車サヤ8001(旧モハ5451)の2両が断トツです。
これは撮りたかった・・・
▲廃車後のクエ7002。車体だけ残されていました いずれも森林公園 1982-4

2016年7月26日

吉井川に沿って その2

ホハ2000
▲同和鉱業片上鉄道ホハ2005ほか 片上 1989-2

岡山に投宿した翌日は、またも夜明け前から出動です。
手始めは前日の中山駅の隣、清水で下車。長いホームと交換設備は多くの駅にあり、鉱石輸送華やかなりし頃の名残です。この頃は手前の線路は封鎖されていました。
片上
katakami-railway
▲いずれも清水 1989-2
 
ここから片上まではサミットがあり、エンジンを吹かしながら走ります。
1レが猛然と通過して行きました。続いてキハ303もやって来ます。
キハ303
▲いずれも片上-清水 1989-2

さて次の列車は2時間後までなく、片上までの4キロを歩いて行きます。
片上のヤードは広く、目当てのオープンデッキ・ホハ2000形やキハ303などをゆっくりと見て回りました。旧国鉄07形のキハ702は検査に入っているようで、姿が見えません。
片上▲ホハ2004 片上 1989-2

キハ300▲キハ303・キハ802 片上 1989-2
 
ここでフィルムが底をついてしまい、カメラ店求めて片上の街を徘徊したり、張り切って持ってきた6×7判や三脚など広げたりしているうちに時間切れ。のんびりし過ぎました。
既にホームにはキハ303が待機しています。
片上鉄道▲キハ303 片上 1989-2
 
これに乗ったら撮れないし、タクシー移動するか・・・とも考えましたが、一計を案じました。
やはり乗り込みます。気になっていた2つの駅を訪問することにしました。
一つ目はこちら、苦木(にがき)。山間にポツンと立つ、好ましい無人駅です。
苦木▲乗って来たキハ303を見送ります。 苦木 1989-2
 
苦木駅▲苦木駅舎 1989-2

さてここから隣の杖谷まで2キロほど歩きます。
杖谷は民家の軒先に建っているフシギな駅で、どこまでが構内なのか分かりません。
片上鉄道


▲いずれも杖谷駅 1989-2

待つことしばし、先ほど降りたキハ303が折り返してきました。
片上鉄道▲キハ303 杖谷 1989-2

これで和気に戻り、帰途につきました。1.5日間の片上詣で、これにて終了です。
キハ303に替わって仕業に入ったキハ312を見送りました。
片上▲キハ312 和気 1989-2

片上鉄道には個性豊かな駅舎が多く存在します。
独断と偏見で大きく分類すると次の四つになるかと思いますがいかがでしょうか。

1.片上の象徴ともいうべきトンガリ屋根 →→ 周匝・美作飯岡・吉ケ原・柵原
片上
▲周匝 1989-2

2.同じ三角屋根だが傾斜が緩やか →→ 備前塩田・備前福田
▲備前塩田 1989-2

3.小ぶりな本屋で元有人駅、ほぼ同じ意匠 →→ 清水・天瀬・河本・苦木
片上鉄道▲清水 1989-2

4.国鉄ローカル線主要駅を思わせる大きい本屋を持つ →→ 本和気・益原・備前矢田  
▲備前矢田 1989-2

※どれにも属さない →→ 片上・中山・和気・杖谷

山あり川ありの沿線風景に個性的な駅舎、そして今回は会えなかったキハ702と魅力満載の片上鉄道。山装う時季の再訪を期して和気を後にしました。

▲杖谷 1989-2

2016年7月23日

吉井川に沿って その1

片上▲同和鉱業片上鉄道 1レ・キハ801ほか 片上-清水 1989-2

片上鉄道は遠隔地ながら、風光明媚な沿線に惹かれ何度か訪れました。
初訪問は1982年9月の私鉄早回り旅行。大雨の中、終点柵原まで乗車した後、傘を飛ばされながら片上のヤードをぐるりと回ってオシマイでしたが、往復の車中で変化に富んだ風景や、個性のある駅舎たちを記憶に残し再訪を期しました。

やっと叶ったのは1989年、琴電からの帰途でした。
満を持しての訪問だけに、岡山に2泊して腰を据えます。
まずやって来たのは旧国鉄キハ04のキハ303。小坂鉄道からの転入車キハ800形の増備で1両だけ残っていました。山深い小駅・中山で待ち受けます。
キハ303
片上▲いずれもキハ303 中山 1989-2

薄明の中、混合列車1レがやって来ました。コダクローム64では苦しい露出です。
片上鉄道
片上
▲いずれも中山付近 1989-2 

列車本数は少なく、90-120分間隔ですから余りあちこちに移動できません。
周匝からほど近い第2吉井川橋梁周辺に軸足を移して、夕方まで粘ることにしました。
katakami
katakami
片上▲いずれもキハ303 周匝-美作飯岡 1989-2

「茶臼山俯瞰」をすべく急峻な坂を約1.5時間、頂上の茶臼山城址公園まで上ります。
眼下に第2橋梁や美作飯岡駅が見え、吉ケ原方面まで遠望できるロケーションで、一目で気に入ってしまい訪問の度に山登りをすることになりました。
片上▲キハ801 周匝-美作飯岡 1989-2 
 
片上
▲美作飯岡駅周辺を望む  1989-2 
 
▲キハ801 美作飯岡-吉ケ原 1989-2

山を下りてくる頃には陽が傾いてきて、そろそろタイムリミットです。
▲キハ303 周匝 1989-2

高校生らと一緒にキハ303に乗って、一旦宿に戻ります。
2月の黄昏は早く、すぐに車内の白熱灯が燈りました。
▲キハ303車内 1989-2
 
白熱灯の名残を惜しみながら和気で下車。
・・・次回に続きます。
▲中山 1989-2

2016年7月19日

五井機関区 1975年

小湊
▲小湊鉄道B104 五井 1975-10

銚子電鉄仲ノ町車庫でデキ3に触れ、後は沿線でデハ201の走行撮影・・・と現在ならこうなりますが、そのまま踵を返して次の目的地、小湊鉄道へ向かいました。

せっかく遠路銚子までやってきて勿体ない話ですが、一つでも多くを見たい早回り旅。
という訳で銚子から延々2時間、五井に到着。既に夕方近くになっていました。
キハ5800▲キハ5800 五井 1975-10

まずは一番の目的、キハ5800形。5800・5801の2両がいましたが、まだ増産中だったキハ200形に押され既に一線からは退いていました。
その出自は院電の木造車ですが、これを三信鉄道が買取り鋼体化、更に国鉄が再買収して制御車化の後小湊へ、という波乱の経歴の持主です。
気動車を電車へ改造という話は良くありますが、その逆というのは余り例がありません。
キハ5800▲キハ5801 五井 1975-10

次はこれまた異色のキハ6100形です。
旧青梅鉄道の木造車、デハ100形を国鉄が買収後、小湊にやってきました。
前面は更新されていますが、側面の幅広窓に青梅時代の面影が残っています。
キハ6100
▲いずれも五井 1975-10

もう一つ、旧国鉄のキハ41000形は・・・とキョロキョロしますが見当たりません。最後の2両が75年廃車の由、どうやら寸分の差で間に合わなかったようです。

次は車庫の外れに保管、と言うより放置されている蒸機たちを見に行きます。
まずはこちら、ピーコック5500形改造のB10。
長い間野晒しで、かなりくたびれた状態でした。
▲五井 1975-10

開業時からのBW1号機・2号機も並んでいました。
こちらもかなり荒廃しています。
今となっては隣にいる木造客車(あるいはジハ10?)流用の物置の方が気になります。

3両とも、現在は整備されて上屋付きの場所で大切に保管されています。
▲いずれも五井 1975-10

倉庫代用と思しきワフ1。
▲五井 1975-10

さてこれだけ撮るとまたさっさと引き揚げ、しつこく木更津へ向かいます。
夕闇迫る中、何しに行ったのか思い出せませんが、久留里線のDCや内房線で健在だった73系をスナップしていました。

画面下に指が写り込んでいるお粗末写真ですが、レンジファインダー機のヤシカでは気が付きませんでした。レンズキャップを付けっぱなしで写して結果は真っ黒、なんて失敗もしばしばでした。
久留里線
▲いずれも木更津 1975-10

すっかり暗くなった木更津から、漸く帰途につきます。
2:00の行動開始から20時間超、長い1日が終わりました。
銚子電鉄
▲銚子電鉄デハ201 仲ノ町 1975-10