2017年5月7日

お知らせ~しばらくお休みします

▲新潟交通クハ46 燕 1988-5

いつも小ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
情けない話ながら、中高年の宿命と言いますか、肩を痛めてしまいしばらくの間更新をお休み致します。いつも訪問下さっている方には申し訳ありません。

充電完了次第、再開したいと思います。

▲高松琴平電鉄 春日川-潟元 1989-2

▲三井石炭鉱業 三池港 1992-12

2017年5月5日

関東鉄道 キハ300・350登場の頃

▲関東鉄道キハ802 中妻 1988-4  

長らく雑多なDCたちの楽園だった関東鉄道に大きな転機が訪れたのは1987年、旧国鉄キハ35一派が大挙して押し寄せたときでした。
時あたかも国鉄の解体直後、清算事業団から大量且つ安く入手できたという事情も追い風になりました。

1988年春、世代交代が本格稼働し始めた水海道を訪問。
基地の其処彼処に入線したばかりの35系列が転がっていました。

















在来車の車体側面にはこのような巨大な広告、何とも撮る気が失せます。
こちらは主力のキハ800形。1形式1-2両ばかりの常総線にあって5両の世帯でした。
一線を退き始めたせいでしょうか、1950年代製のメンバーには綺麗な車体が多く残っていました。まずはこちら、御殿場線への優等列車で鳴らした旧小田急キハ5000形のキハ751形751・752です。
同じ小田急車ながらこちらは旧キハ5100形のキハ753。


1954年製、1形式1両のキハ703形。当線には珍しい前面2枚窓です。


特急「しもだて」にも充当された自社発注のキハ700形。こちらも2両の小世帯です。
旧国鉄キハ07のキハ610形。側面に07時代の面影を残しています。

直通急行「きのくに」に活躍した南海版キハ55のキハ755。機器の関係で当線唯一の4ドア車になりました。

筑波鉄道からやって来たキハ301。
同線からの引継車で唯一稼働した車ですが、その後の35系大量投入のきっかけになりました。
▲いずれも水海道 1988-4

さて次は沿線で狙おうと、二つ先の中妻へ。
しかし巨大広告がどうにも目障りで、写欲は失せますが駅舎と無理やり組み合わせました。凄まじい建物ですが、これでも委託駅員のいる有人駅です。
▲いずれも中妻 1988-4

20年以上主役の座を保ち続けた35系列でしたが、年波には勝てず徐々に離脱。
ワンマン対応に改造され、最後まで残ったキハ100形がこの1月にお別れ運転をしたのは記憶に新しいところです。
▲竜ヶ崎 1988-4

2017年5月2日

鷲羽をめぐる軽便電車 その2

▲下津井電鉄クハ24+モハ103 琴海-鷲羽山 1980-9

1972年春、下津井周辺の道路事情から終端だけが残った当線でしたが、その際徹底的な合理化がなされて電車は最低限に、中間駅は悉く無人化されました。
残された軽便電車は6両、派手な紅白塗装は微妙ですが後年の落書き電車に比べれば充分にマシでした。
▲モハ1001 下津井 1980-9

さて引き続き下津井車庫を回ります。こちらは気動車改造車の生き残り、クハ5。
廃車後もそのまま保管され現在も駅跡に残っています。
旧井笠鉄道のホジ3。
部分廃止時、レール撤去工事用に購入したものの動力の具合が悪かったそうで、使用されることなくお役御免になりました。
▲いずれも下津井 1980-9

車庫を見て回った後は、再び草生した線路端を撮り歩きながら日没まで粘ることにしました。こちらは児島に向けて発車したモハ1001。



後ろに見える陸橋から児島方面からを望む。
歩くことしばし、撮影ポイントのΩカーブに差し掛かります。
咽返るような草いきれの中、再びモハ103+クハ24コンビがやって来ました。
▲いずれも東下津井-下津井 1980-9
 
東下津井まで歩いたところで時間切れ。
次の目的地、可部線へ向かうべく引き揚げることにしました。
▲鷲羽山-東下津井 1980-9

▲東下津井 1980-9

この軽便電車たちも、1988年の瀬戸大橋開通によって環境が一変してしまいます。生き残りを賭けた観光客誘致、悪く言えば遊園地の如き路線に変貌するも、その甲斐虚しく90年に幕を閉じました。のんびりと撮り歩いた晩夏の一日、そんな話はまだ遠いことでした。


1989年の様相 →→ こちら
1980年の別府鉄道 →→ こちら
 
▲いずれも東下津井-下津井 1980-9

2017年4月29日

鷲羽をめぐる軽便電車 その1

▲下津井電鉄クハ24+モハ103 東下津井-下津井 1980-9

1980年夏のこと、初めての九州への道中、別府鉄道と共にルートに組み入れたのが下津井電鉄でした。72年に大半が廃止され、残るは僅か6.5キロの孤立路線ながら瀬戸内海を望む風光に貴重品となったナロー電車、外す訳にはいきません。

倉敷から快適なバス旅を満喫しながら児島へ、広いバスターミナルの片隅にあった掘立小屋のような駅から早速乗り込みます。
▲クハ24+モハ103 児島 1980-9

先ずは琴海で下車。
ここから海を眺めながら隣の鷲羽山まで撮り歩く・・・と目論むも、草木が伸び放題で眺望が効きません。適当な足場も見つからないのでナローの線路脇をそろそろと歩いて行きました。
▲いずれも鷲羽山-琴海 1980-9

午後の閑散時間帯はもっぱらモハ1001の単行が行ったり来たりです。
モハ1001は部分廃止に併せてクハを自社改造した車でした。この会社は自社で造ってしまうのが得意技のようで、ガソリンカーを電車にしたり単端を背中合わせにくっつけたりと、その独創性は越後交通に通じるものがありました。
▲いずれも琴海-鷲羽山 1980-9
 
▲鷲羽山-東下津井 1980-9

さて撮り歩くうちに下津井に到着、早速車庫を覗きます。
こちらは1961年製の主力車、モハ103+クハ24。
予備車のモハ102+サハ2+クハ22。
モハ103+クハ24の検査時に動く程度で、出動の機会はあまりありませんでした。サハ2は軽便時代の栗原鉄道の電車を付随車化したものです。
 
狭い下津井車庫ですが、興味深いゲテモノ車がぞろぞろといました。
モハ110は気動車改造の予備車。既に3連の予備車がいたので動く機会はほとんどないまま留置、そのまま展示物と化してしまいました。
▲いずれも下津井 1980-9

ここで全身の汗を拭って一休み、再び東下津井へ向かうことにします。
・・・次回に続きます。
▲下津井 1980-9