2017年12月14日

花電車の走った日

▲東京都交通局6063車内 1978-4

1978年春、都電荒川線が全面ワンマン化。
これに合わせて20年ぶりの花電車が走る、という記事を偶然見つけて出かけてみました。運行時刻など予備知識は全くなく、ぶっつけ本番での出動です。

まずは王子駅前へ。
30両の大所帯となった7000形更新車に押され気味ながら、青帯7500形も活躍中です。
▲王子駅前 1978-4 

さて花電車のことは何も分からないので、取り敢えず荒川車庫前へ行ってみると黒山の人だかりです。見物人の一人に聞いてみると間もなく来るとのこと、車庫の周りをうろうろしながら待つことにしました。
▲いずれも荒川車庫前 1978-4

見物の人山に適当に潜り込んで待つこと暫し、7000形を先導車に乙6000形が連なってやって来ました。
▲先導を切るのは7031号

▲続いて乙6212 「馬車鉄道号」

▲トリを務めるは乙6213 「ムシバ号」 

花電車ですから派手な飾り付けは当然ですが、うーむ・・・な電車ではあります。平日のせいか乙6000形は総勢5両のうち3両の出動でしたが、日によって両数が変ったり、先導車を6000形が務めたりしました。

さて、しばらくすると本命の6000形の出庫です。
▲いずれも荒川車庫前 1978-4

最初にして最後の都電ツーマン車乗車体験です。
カメラの放列を浴びた車掌さんはバツが悪そうですが、便乗して自分もちゃっかり構えました。
▲6063車内 1978-4

大塚駅前に到着、ここで最後を見送ります。
▲いずれも大塚駅前 1978-4

乙6000形はこの運転のために余剰の6000形を急遽改造して仕立てたとのこと。しかし突貫工事がたたってその後は使用されることなくお役御免となった由、まさに1度限りの花道となりました。
▲荒川車庫前 1978-4

2017年12月8日

新潟交通 六分あたり その3

▲新潟交通モハ19 六分 1988-5
 
県庁前の軌道線や、田圃が広がる燕周辺に比べると「風景的には今ひとつ」と敬遠してきた中ノ口川沿いの区間。訪問のきっかけは普段あまり読まないTMS誌で偶然見つけた連載記事でした。

無論モデラー向けの建造物や配線の解説がメインですが、そこには往年のローカル駅の魅力を凝縮したような光景が展開され、まさに目からウロコです。

中でも最も気になったのは六分駅。年季の入った木造駅舎に貨物ホーム・上屋・倉庫・待合所などが按配良く配置されていました。
▲いずれも六分 1988-5

駅舎を始め、開業時からの施設や配線が末期まで残り、中之口村の中心として機能していた往時が偲ばれます。本屋は大きい民家といった趣で「風格」とはちょっと違いますが、家に帰ってきたような安堵感がありました。

六分始発の区間列車が手持ち無沙汰げに客待ち。
1981年、燕-六分間に8往復設定されるも旅客増にはつながらず、程なく廃止されてしまいました。 
▲いずれも六分 1988-5 
 
六分の佇まいに気を良くしたこの日は、初めて中ノ口川沿いを撮り歩きました。 
▲月潟 1988-5 

▲いずれ味方-白根 1988-5

1992年に軌道線が廃止されると、後を追うように燕-月潟間も姿を消して孤立路線となり、同時にこの駅も姿を消しました。残された月潟-東関屋間はバスとの連携を図りながら、生き残りを模索していきます。
▲いずれも六分 1988-5

2017年12月3日

1976年 須坂にて

▲長野電鉄モハ1003 須坂 1976-7

一時期、長野県の三私鉄に棲息した東急5000系。
その入線前夜の1976年、この年の夏休みは上野から長野・松本・名古屋を巡り、新幹線で舞い戻るという「一筆書き大回り旅」を企みました。急行「妙高5号」で早暁の長野に降り立ち、始発電車を待って須坂駅へ向かいます。
▲長野駅は仮駅舎でした 1976-7

2500形デビュー前の長電は、開業時からの猛者らが闊歩するまさにデンシャの楽園でした。まず出迎えてくれたのは信濃鉄道木造車を鋼体化した1100形。長電きっての大型車でしたが79年に引退、遠く豊橋や伊予鉄へ嫁いで行きます。
1926年製、開業時からのモハニ530形。
▲いずれも須坂 1976-7

この時は見掛けなかったモハニ130形は兄弟車です。
▲須坂 1980-9

深い屋根が印象的な「川造型」の600・610形。
引退後は3両の仲間が上田交通へ再就職し、1986年の昇圧時まで活躍します。
 
4番線ホームの片隅から発着するのは元東武の「デッカー」ことモハ401。
この日は元モハ403のクハ451とコンビを組んでいました。

戦後製のモハ1000形は在来車の中で最後まで残り、1500形と共に河東線(屋代線)で終焉を迎えます。
▲いずれも須坂 1976-7

一方、新性能車の主役は0系と2000系。
0系は洗練されたデザイン、地方私鉄には珍しい20m・4扉といった斬新さがありましたが僅か30年余りの活躍でした。

国鉄ED15の流れを汲むED5001は1927年日立製。
既に主役は定山渓からやって来たED51形に代わっており、専ら入換えや小運転用でした。
▲いずれも須坂 1976-7

安直スナップだけに終わってしまった在来車ですが、この翌年、赤ガエルの大量襲来によって見る間に放逐されて行きます。
▲須坂 1976-7
 
▲長野の地が板についてきました 1980-9

2017年11月28日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その11

▲EF6418 八王子 1976-7

西武の離れ小島・多摩川線。
その出自は多摩川の砂利輸送のため、明治時代に敷設された多摩鉄道でした。

1976年夏、立川・八王子方面の多彩なデンシャ群を見に行った道すがらのことでしたが、当時はこれが西武線だったことすら知らず、小型時刻表の路線図では判明もしないまま、この盲腸線何だろうなどと考えあぐねていた始末でした。
▲いずれも武蔵境 1976-7
 
こちらは少し時代が下った頃。
電車は451系ですが、広いホームを始め駅の佇まいは変わらぬままです。
▲1980-5 武蔵境
 
こちらはその時の主目的です。
メインは重連で運用される八王子機関区のED61。既に中央線貨物の主役はEF64に移る一方、ED62への改造も始まっており、先行きが見えていました。他にも青梅線の72系や南武線のデンシャたちと初見参が満載でした。
▲いずれも八王子 1976-7
 
▲いずれも立川 1976-7
 
▲西国立 1976-7
 
▲いずれも立川機関区 1976-7
 
営団5000系の中でも異色のアルミ車を見かけて、慌てて車窓から構えたのがこちら。400両超の一大勢力だった5000系にあって21両という少数派だったせいか、その後再会することはありませんでした。
▲高円寺 1976-7
 
5000系とペアを組んで相互乗入れを担った301系。
こちらも50両の少所帯でしたが、国鉄初の地下鉄対応・アルミ合金製車体といった点で画期的な車両でした。
▲吉祥寺 1976-7

アルミ地色で異彩を放っていた301系でしたが、1978年からグレー基調に塗装されインパクトが薄れます。
▲三鷹 1980-4
 
初めて尽くしだった西東京方面行でした。
▲301系と似て非なる103系1200番代 三鷹 1976-7
 
▲立川機関区はED16・EF10の牙城でした 1976-7