2017年10月19日

「修学旅行色」のこと

▲155系急行「おくいず」 東京 1974-5

憧れだった20系客車に会えたのは73年秋、家のカメラを持ち出し初めて東京駅を訪れたときのこと。20系と共に初見参の157系「あまぎ」や153系などに右往左往している中、おやっと思ったのが「ひので」塗装のデンシャでした。
▲いずれも東京 1973-9 

既に修学旅行輸送の主役は新幹線に変わり、出番の殆どは臨時列車になっていました。東京駅で良く見かけたのは臨時急行「おくいず」に運用された155系や167系でした。
▲東京 1974-5
 
▲東京 1975-3

東北線で見掛けた155系団体列車。
▲間々田-小山 1975-8

修学旅行列車は75.3のダイヤ改正で殆どが廃止、時刻表から「修学旅行」の文字が消えます。その後も波動輸送用として残るもベース車(153・165系)と同色になり、インパクトはなくなりました。

こちらは東北線の急行に組み入れられたキハ58-800番代。
▲上野 1978-9

▲福島 1976-3

※Wikipediaから抜粋

「車体塗色は、子どもたちに明るい印象を与えようとしてライトスカーレット(朱色3号)とレモンイエロー(黄1号。後3号へ変更)の2色塗装が採用された。いわゆる『修学旅行色』で、塗り分け方も153系とは異なり113系と同様に前面下部の塗り分け線を斜めにして貫通扉や前照灯にかからないようになっている」

ところで、これを見て思わず「新潟色」を連想してしまうのは、自分だけでしょうか・・・
▲高崎 1975-6

2017年10月14日

松本電鉄 新村にて

▲松本電鉄ED301 新村 1985-4

生抜き木造車のほか、旧西武や京王車、珍奇な電動貨車など強者揃いだった松本電鉄でしたが、1960年代に日車標準車体に更新されてからは話題になることも少なく、地味な路線でした。 

旧甲武の「ハニフ」を見るべく初めて新村車庫を訪ねたのは1976年の夏休み、長野早回り旅のルートに入れたときでした。
こちらは車庫で点検中のED301。


専用の庫で保管されていたハニフ1。
車庫でお願いすると重たいドアをギギィと開けてくれましたが、尻を覗かせているだけでした。庫内は真っ暗、「引き」もなかったのでこれだけ撮って引き返します。
▲いずれも新村 1976-7

さてそれから9年後の85年、67判でまともに記録しておこうと再訪。
顔触れは同じですがまずはこちら、モハ10形107。1番目だから11ではなく「101」、しかも奇数だけという変わった付番(偶数番は浅間線で使用)をしています。
▲いずれも新村 1985-4

旧信濃鉄道・WH製のED301。
貨物列車は1973年に廃止され、専ら除雪や工事用でしたが出動の機会は殆どありませんでした。現在は茶色に再塗装され整備されてはいますが籍はなく、イベントに駆り出される程度です。
筑摩鉄道時代からの駅舎。2012年、隣に新駅舎ができるまで90年近く現役でした。
▲いずれも新村 1985-4

日曜のせいか人気がなく「ハニフ」の方は諦めて沿線へ。新島々方に少い歩いた辺りで構えます。
▲いずれも新村-三溝 1985-4

あまり写欲が湧かずこれだけに終わった日車標準型でしたが、この翌年の昇圧によって東急5000系に一新されあっけなく消滅してしまいます。一時は全国に広がった「東急ガエル」の棲息分布、しかしこちらも熊本に残る動態保存車だけになりました。
▲新島々 1985-4

2017年10月9日

四季の谷汲線・晩秋

▲名古屋鉄道モ754 長瀬-谷汲 2000-11
 
取り憑かれたように、これでもかと通い詰めた名鉄揖斐・谷汲線。
決して気軽には行けない彼の地に月1回ペースで惹き付けた活力源は、やはり最後まで昭和初期の電車が活躍していたことでした。

晩年の主力メンバー、モ700・750形らは窓やヘッドライトが不恰好な改造を受けて魅力が半減・・・しかし起伏に富んだ沿線風景がそれを打ち消すに充分な役割を果たしました。
そんな中から今回は晩秋を行く谷汲線をお送りします。
▲長瀬-谷汲 2000-11

谷汲線は僅か11.2kmの中に山あり川あり、田園風景ありと四季折々の変化を凝縮したような路線でした。まずはこちら、揖斐川の支流・根尾川沿い行くモ754。

北野畑駅に差しかかるSカーブから。
モ754は不細工なヘッドライトが一際目立ちますが、リベットが厳つい車体はそのままでした。
▲いずれも更地-北野畑 2000-11

赤石を出て根尾川の支流・管瀬川を渡り、大きく弧を描くと長瀬に到着です。
▲いずれも赤石-長瀬 2000-11

秋気満つ長瀬付近を行く。
▲赤石-長瀬 2000-11
 
▲長瀬-谷汲 2000-11
 
こちらは終点・谷汲に近い田圃から。
並行する道路から手軽に狙えるポイントですが、山村のような雰囲気が好ましく来る度に陣取る場所でした。
 陽のかけらが沈む間際にモ754がやってきました。
▲いずれも長瀬-谷汲 2000-11
 
この時の夕景がきっかけとなり、うなされたように谷汲への百度詣でが始まりました。

1987年の揖斐・谷汲線訪問 →→ こちら

▲長瀬 2000-11

2017年10月4日

江ノ電のライトが下がった

▲江ノ島鎌倉観光352  鎌倉高校前-七里ガ浜 1980-12

江ノ電は栃木方面から半端に遠かったせいか、初訪問はかなり遅れて1980年。
折しもデンシャたちの前照灯が窓下2灯に移されて些かヘンテコになった一方、「タンコロ」こと100形が最後の活躍をしていた頃でした。
▲江ノ島 1980-12

▲当時の最新鋭・1000形 江ノ島 1980-12

まずはこちら、架け替え前の境川橋梁にて。
ゴツいコンクリート橋の現在と違い、この頃は長閑な雰囲気と相俟って絵になる場所でした。
前照灯移設は最終段階でしたが、まだオデコにも乗っかっています。
当時の布陣は1000形を除けば300形や500形、玉電からやって来た600形など小型連接車のオンパレードでした。
▲いずれも鵠沼-湘南海岸公園 1980-12
 
変わらぬド定番地でも構えます。こちらは旧山梨交通モハ7形の800形、輸送力を買われて大車輪の活躍をしていました。
製造年代や出自によってスタイルが大きく異なる300形は、301-306編成全てが健在。現在も305編成が新製に近い改造を受けながら、江ノ電のシンボルとして現役です。
▲いずれも鎌倉高校前-七里ガ浜 1980-12

やってくる電車は「窓下2灯」ばかりで一巡、どうやら寸分の差で完了してしまったようです。ちょっとガッカリしながら、これもお馴染みの腰越-江ノ島の路面区間で構えます。
▲いずれも江ノ島-腰越 1980-12
 
2両だけ残ったタンコロこと100形。
▲いずれも江ノ島 1980-12
 
今や一大観光路線の江ノ電、いつ行ってもカメラの大放列で辟易してしまいますが、この頃は廃線危機を脱してからまだ数年。タンコロもさして話題にならなかったようで同業者はゼロ、静かなものでした。
▲この翌週にタンコロが引退しました 鎌倉高校前 1980-12