2017年6月30日

秩父の異端児・デキ200と300

▲秩父鉄道デキ201・507 秩父 1988-11

数多の電機の中でも、秩父のデキ200形は異色の存在でした。
一見平凡な箱型車体ながら、目を引くのは「L型軸梁式」という異様な風体の台車。

テクニカルなことは正直難しくてよく分からないのですが、要は急勾配で1,000トン級重量貨物の牽引に耐える設計がされ、このため軸梁の重心を低くして粘着性能アップを図った、といったところでしょうか。

まずはこちら、茶色塗装時代。台車と共に大目玉2灯が目を引きます。
▲いずれも熊谷 1975-6

こちらは青色塗装にシールドビーム化されたデキ201。

一見すると台車と前照灯以外は同じようなデキ200・300・500ですが、並んでみると結構細部が異なります。
▲いずれも秩父 1988-11
 
デキ200形の特殊性能を元に戻したのがデキ300形。
しかし時代は既にデキ500形に移りつつあり、仲間は3両に留まります。
▲秩父 1988-11

こちらは松尾鉱業からやって来たデキ107。
デキ100形もこの頃には全機がシールドビーム化されていました。
▲秩父 1988-11

こちらは同じ頃、引退して間もない旧阪和のED38。
最後まで残った1号機は広瀬川原の片隅でくたびれた姿を晒していました。

時同じくしてWHデキ1・2も引退、デキ1形は姿を消しました。
▲いずれも広瀬川原 1988-11

デキ202・203は2000年に三岐鉄道へ嫁ぎ、中部国際空港の資材輸送でフル稼働だった同社の助っ人になりました。しかし工事終了と共にお役御免になってしまい、2011年に引退。唯一秩父に残ったデキ201はC58補機の任を得ました。
一方のデキ300形は少数民族ながら未だ全機が活躍中です。
▲波久礼-樋口 2014-1

2017年6月26日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その6

▲京浜急行電鉄デハ1259 品川 1975-1

1975年冬休みのこと、終焉迫った東京口の20系をメインに上京した道中、入場券を買って京急品川駅に初めて入ってみました。電車も街中もすっかり様変わりしてしまった現在ですが、駅構造自体はほとんど変化がありません。恐らくこの40年で最も変わっていない私鉄ターミナルではないかと思います。

主力はもちろんこちら、「特急」のサインも凛々しいデハ1000形です。2000形は勿論、800形もデビュー前でした。
▲品川 1975-1

非冷房・4ドアで「鉄の棺桶」という有難くない渾名を拝命したデハ700形。
▲いずれも品川 上・1975-1 下・1975-7

ローカル運用のデハ400形。
▲品川 1975-7

こちらは京浜川崎まで乗り入れていた都営5000形。京急車の陰に隠れて目立たない存在でした。
▲品川 1975-1

折りしも名車・230形が空港線で最後の活躍をしていた頃でした。しかし当時はその存在すら知らぬまま引き返してしまい、後々の禍根を残すことになりました。
▲品川 1975-7

2017年6月22日

上田から上田原へ

▲上田交通モハ5251 上田-城下 1985-1

雑誌のコンクールで見掛けた、逆光線の千曲川橋梁を行く丸窓電車が強く印象に残り、初めて同じ位置に立ってみたのは1984年初夏のことでした。

上田を出た電車は左へ90度カーブし、急に視界が開けたと思うと千曲川を跨ぎます。トラスの処理が難しいですが、朝日に反射する川面と電車の組合せを狙います。
▲いずれも上田-城下 1986-2

さて別所線に来ると必ず立ち寄るのはこちら、上田原車庫。
凡そ新建材などとは無縁な、年季の入った凄まじい車庫や駅舎が昇圧時まで健在でした。
▲いずれも上田原 1986-9 
 
車庫と一体化した下りホームに丸窓電車が到着です。


旧東急デハ3300形の3310。
1日1往復、中塩田までの区間列車の限定運用でした。


車庫で昼寝中のこちらは旧長野電鉄モハ201のモハ5261。


こちらも長電からやって来たモハ5271。深い屋根に巨大パンタ、リベットだらけの川造スタイルの原型を良く留めています。


ライトやパンタが外された旧富士急のモハ4257。この後里帰りして復元されています。


旧宇部デキ11を出自とし、流転の末上田にやって来たED251。ナンバーは国鉄時代を名乗っていました。
旧信濃鉄道・モハ5370形の車体も工作所として最後まで残っていました。
▲いずれも上田原 1984-6

高架になる前の上田駅。
狭い跨線橋や「別所線のりば」の案内看板、小振りな木造の事務所・・・一昔前の乗換駅らしい雰囲気が感じられる場所でした。
▲いずれも上田 (上・1984-6 下・1985-1)

上田交通昇圧の頃 →→ その1 / その2

▲上田 1986-9

2017年6月18日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その5

▲東京急行電鉄デハ5001 大井町 1980-3

しつこく続く本シリーズ、今回は東急大井町駅からです。
新玉川線開通前の旧田園都市線は東横線に次ぐ動脈格の筈ですが、やって来るのは4連ばかりでノンビリした雰囲気が漂っていました。
▲大井町 1974-8

3000系一派を始め、青ガエル5000系、7200系とバラエティ豊かで多くのデンシャが見たい鉄道少年にとっては魅力的でした。1975年に8500系が登場すると、本線系統からの7000・8000系らが主役となり、3000系列は一線を退き始めます。

▲いずれも大井町 1974-8

続いて新玉川線が開通、こちらがメインルートになり営団との乗入れが始まると役目が変わって行きました。

▲大井町 1974-8

2017年6月14日

長電河東線 1985年

▲長野電鉄モハ1003 屋代 1985-4
 
長野電鉄屋代線(当時は河東線)は中堅私鉄の長電にあって一段とローカル色の強い路線でした。ここでは唯一の半鋼製車・モハ1000形一派が最後の力行を見せていました。
屋代の駅業務は国鉄に委託されていましたが、途中から幅が狭くなる跨線橋、年季の入った待合所や上屋など、往年の乗換駅の雰囲気を色濃く残しています。
▲いずれも屋代 1985-4

この日は雨宮で下車。
数年前に訪ねたときはクハ1550形との2連も動いていましたが休日のせいでしょうか、やって来るのはモハ1003・1501の単行ばかりです。
▲いずれも雨宮-岩野 1985-4

本数は少なく90-120分に1本程度。
特段目的のない気まぐれ旅だったので2本で撤収、今考えると勿体ない話ですが長野市内への観光に向かってしまいました。
雨宮には河東鉄道時代からの可愛らしい駅舎が健在。晩年は無人化され根こそぎ撤去されてしまいました。
▲いずれも雨宮 1985-4

無骨な戦前のデンシャと違って大人しいスタイルだったモハ1000形たちですが、「赤ガエル」こと2500形の増殖でこの半年後にはモハ1500形2両だけの小所帯に。しかし慎ましく残った彼らも93年、今度は営団からやって来た3500形に主役の座を明け渡すことになります。
▲岩野 1985-4