2017年6月14日

長電河東線 1985年

▲長野電鉄モハ1003 屋代 1985-4
 
長野電鉄屋代線(当時は河東線)は中堅私鉄の長電にあって一段とローカル色の強い路線でした。ここでは唯一の半鋼製車・モハ1000形一派が最後の力行を見せていました。
屋代の駅業務は国鉄に委託されていましたが、途中から幅が狭くなる跨線橋、年季の入った待合所や上屋など、往年の乗換駅の雰囲気を色濃く残しています。
▲いずれも屋代 1985-4

この日は雨宮で下車。
数年前に訪ねたときはクハ1550形との2連も動いていましたが休日のせいでしょうか、やって来るのはモハ1003・1501の単行ばかりです。
▲いずれも雨宮-岩野 1985-4

本数は少なく90-120分に1本程度。
特段目的のない気まぐれ旅だったので2本で撤収、今考えると勿体ない話ですが長野市内への観光に向かってしまいました。
雨宮には河東鉄道時代からの可愛らしい駅舎が健在。晩年は無人化され根こそぎ撤去されてしまいました。
▲いずれも雨宮 1985-4

無骨な戦前のデンシャと違って大人しいスタイルだったモハ1000形たちですが、「赤ガエル」こと2500形の増殖でこの半年後にはモハ1500形2両だけの小所帯に。しかし慎ましく残った彼らも93年、今度は営団からやって来た3500形に主役の座を明け渡すことになります。
▲岩野 1985-4

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