2017年7月29日

最後の運炭鉄道 その1

▲三井石炭鉱業5号 三池港 1992-12

現在でも「釧路コールマイン」などが健在ですが、最後まで残った「運炭鉄道」の名にふさわしい路線と言えば、やはり三井三池専用線でしょう。

時は1992年暮れ、三池港駅を訪問。
アポなしでは門前払いを食うのは目に見えていたので、数か月前からの策動開始でした。

連絡先を「民鉄要覧」で調べ、真意を伝えるべくつらつらと手紙を書き、構内立入りと沿線での撮影許可のお伺いをたてました。すると鉄道課長なる方から速攻で電話が入り「何を撮りたいのか?」「沿線のどこで?」と矢継ぎ早の質問、聞きしに勝るガードの固さです。あとはひたすら頼み込むしかありませんでした。

▲三池港ヤード全景 1992-12

▲三池港本庫から2号・5号機を望む 1992-12

そんな曲折を経て事務所へ入ると、件の鉄道課長さん自らが出迎えてくれました。
お茶をご馳走になったり鉱山の現状などを聞いていると、190㎝はあろうかという屈強な構内員氏がズイと横に立ちます。鉄道課長さんはヘルメットを渡しながら「彼が案内するので指示に従って下さい。撮りたいものがあったら彼に言って下さい」と言いました。

こうして奇妙なコンビで広大な三池港ヤードを歩き回ることになりました。

▲20号機の牽く石炭列車 三池港-四ツ山 1992-12

まずはこちら、入換え作業のメインで動いていた1号機、最古参ながらピカピカです。
原型は1911年・ジーメンス製ですが調子は良いそうで、出動の機会が多いとのことでした。
 次は事務所にほど近い場所にいた休車群を狙います。
ご存知Bロコは1-4号機がジーメンス製ですが、こちらは「ハト」をつないだ3号機。
4号機はZパンタを載せています。


こちらはかなりくたびれた様相の三菱製8号機。

撮る度に隣にいる190㎝に断わらなければならないのは気を遣いますが、こんな機会はもうないと67判とリバーサル2台体制で散々時間をかけます。寡黙ながら、こちらがモタモタやっていても嫌な顔もせず気長に待ってくれました。
▲いずれも三池港 1992-12

しばらくすると電源車デ4を従えた9号機が入庫してきました。
この2両は鉱山廃止後も、三井東圧化学(現:三井化学)専用線入換機の任を得て現在も活躍中です。
▲いずれも三池港 1992-12

ここまでで大分フィルムを使ったな・・・と思ったも束の間、まだ序の口でした。
・・・次回に続きます。
▲三池港 1992-12

2017年7月25日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その9

▲西武鉄道E52 所沢 1977-9

西武線は長い間「近くて遠い私鉄」でした。
池袋や西武新宿は東武伊勢崎線方面から中途半端に行きにくい立地にあったせいか、駅スナップもついぞ撮らぬままでした。
▲西武柳沢 1977-9

初めて西武電車を見たのはこちら、1974年初夏の早回り旅の道中、高田馬場にて。
改築前の当駅は狭隘な2面2線ホームで、乗客が溢れんばかりに列車待ちをしています。
▲いずれも高田馬場 1974-5

この日はこれだけでオシマイでしたが、再会して初乗車なったのは3年後でした。
しかし路線が複雑に絡み合う西武線、どこで何が現れるのか皆目見当がつかず不安を抱えたまま適当に下車。スナップしながら所沢まで往復してみることにしました。

まずは乗ってきた451系からこちらで下車、早速眼前を通過して行ったのは551系・クハ1657です。続いて黄色の701系もやって来ました。 
▲いずれも西武柳沢 1977-9

乗って来た電車を降りてスナップです。
▲田無 1977-9

まだ2000形登場間もない頃で、赤電こと701系を始め吊り掛け車の451・551系、クハ1411形などが主役でした。
▲(上・中)東村山 (下)小平 1977-9

そんなこんなで所沢まで辿り着きました。


所沢では国内唯一のBBC機、E52が入換中。
その優雅な姿に興奮したはいいものの、早回りゆえ追いかけることもせず踵を返してしまったのは後々の禍根を残すことになりました。
▲いずれも所沢 1977-9

2017年7月21日

広電撮り歩き その2

▲広島電鉄1908 小網町-天満町 2014-5

さて、翌日も早朝から出動です。
真っ先に向かったのは本線の小網町電停。前日に十日市町から土橋あたりをふらふらと徘徊した折、気になっていた場所でした。
▲小網町 2014-5

全体的に広い路面を悠々と走る広電ですが、ここ小網町から2つ先の観音町辺りは狭隘な生活道路。電停にはホームがなく、路面を緑に塗り分けただけで名鉄岐阜市内線を思い出させます。
▲小網町 2014-5

狭い路面が逆光線に映えるのが好ましく、何本も粘ってしまいました。この日も350形や旧京都の1900形がやって来て、幸先良いスタートです。
▲いずれも土橋-小網町 2014-5
 
▲いずれも小網町 2014-5

小網町-天満町のアップダウンを行く350形。
軌道敷の多くには石畳が残り、手入れも行き届いていました。路面電車には断然石畳、決め込んでいる管理人には堪らない光景です。
▲いずれも小網町-天満町 2014-5
 
続いて横川線へ。
旧大阪の900形がこの日もフル出動でした。
▲いずれも十日市町-寺町 2014-5

横川線別院前-横川一丁目のアップダウンを行く1900形1912。
▲別院前-横川一丁目 2014-5

・・・とそこへ突然、復元車101がやってきました。せっかくなので折返しも狙います。
▲いずれも寺町-別院前 2014-5

移動の車中で見掛けた3000形を追って、次は宇品線・皆実町六丁目電停で下車。
どうも昨日から3000形には肩すかしを食らっているようで、なかなかマトモに捕まえられません。

・・・といきなりカーブの向こうから現れました。
レンズ交換が間に合わず、仕方なく逆光側で妥協です。
▲いずれも皆実町六丁目 2014-5

当電停から御幸橋を望む地点はSカーブを描いていました。超望遠レンズがあれば楽しい構図になりそうですね。
▲いずれも御幸橋-皆実町六丁目 2014-5

さて朝から飲まず食わずで走り回ってきましたが、そろそろタイムアップです。最後はこの電停で350形を見送り、打ち止めとしました。

朝から350形に乗れてラッキーと思いきや、結局少数派の神戸車や西鉄車、被爆電車こと650形には会うことは叶いませんでした。
▲いずれも皆実町六丁目
 
締めはやはり夕陽に映える石畳で。
 ▲本川町-十日市町 2014-5