2017年8月1日

最後の運炭鉄道 その2

▲三井石炭鉱業4号 三池港 1992-12

さて、引き続き三池港構内を巡ります。
構内員氏との奇妙な凸凹コンビも次第に慣れ、阿吽の呼吸でカマに近づくようになってきました。

この当時、三池港を周回していた本線(三池港-三池浜9.3㎞)は線路だけ残して定期列車は走っていませんでしたが、発電所までの石炭輸送(三池港-四ツ山-三池火力発電所)が健在でした。

▲三池港 1992-12
 
この日、石炭列車の先頭に立っていたのは元南海ED5154・東芝戦時標準形の20号機。といっても戦後のドサクサの中、実際は書類上だけで南海に入線することなく三池へやって来ました。
こちらも東芝戦時標準型ながら20号機より古い自社発注の17号機。現在も仲間の18・19号機が三井化学専用線で健在です。
▲いずれも三池港 1992-12

 奥に止まっていたBロコ群が見え、小走りで近づきます。
ジーメンス製2号機と三菱のコピー機・5号機が仲良く休んでいました。190cm氏曰く、2号機は予備、5号機は1号機と共に毎日のように動いていているとのこと。
一方裏にいたのは完全な休車(廃車?)だった自社製の14号機です。
▲いずれも三池港 1992-12

こちらは構内入口近くにいた1908年・GE製の5号機。
きれいに整備されていますが既に戦線離脱しており、車止がついていました。



5号機の隣にいたこちらは謎の貨車「検重車」。
Wikiなどに詳しい解説がありますが、要は「貨車の重さを積荷ごと計量するための秤の正確さを検査する車両」といったところです。国鉄ですら10数両しかいなかったこんな珍車を有していたところは流石というべきでしょうか。
▲いずれも三池港 1992-12
  
・・・とここまで書いて枚数が結構いってしまいました。しつこく続きます。
▲三池港 1992-12

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