2017年8月5日

最後の運炭鉄道 その3

▲三井石炭鉱業5号 三池港 1992-12

どこまでも続く三池港のヤード・・・半日かかっても全部回り切ることができません。
しかし師走の日暮れは早く、志半ばでタイムアップです。
最後まで付き合ってくれた190㎝の構内員氏や鉄道課長さんに丁重に礼を述べて事務所を後にしました。この日は熊本に投宿です。
▲部屋から市電が望めました 辛島町電停付近 1992-12

さて、翌日も続いて三池港周辺をうろつきます。
事務所を再訪すると、職員輸送の5号機(1915年三菱製)が横付けされていました。
▲いずれも三池港 1992-12
 
近くの踏切に陣取ります。
最古参のジーメンス1号機は今日も入換えに走り回っていました。
▲いずれも三池港 1992-12

この踏切からは石炭列車が発車するシーンが望めました。
昨日も動いていた20号機がセナを牽いてゆっくりと近づいてきます。
同じ東芝製でもこちらは1949年製・自社発注の21号機。
ボンネットが直線的に、台車がスプリング式になり戦時標準型とは随分と印象が変わっています。
▲いずれも三池港-四ツ山 1992-12

次々にやって来る石炭列車に加えてかいがいしく動き回るBロコ。
結局最後までここで粘ってしまい、沿線を歩くという目論見は叶いませんでした。

最後にもう一度、事務所近くに鎮座するGE5号へ挨拶の意味を込めて1枚・・・これで撤収です。
▲三池港 1992-12

後ろ髪を引かれる思いで再会を期しましたが、三池炭鉱は1997年に閉山、後を追うように専用線も100余年の歴史に幕を下ろしました。路線の廃止・・・というより、栄華を極めた炭鉱の時代がこれで完全に潰えたような気がしました。
▲いずれも三池港 1992-12

8 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2017年8月5日 22:34

     この鉄道が1997年まで存続していたのも意外といえば意外です。
    沿線は歩けなくても、ここまで記録されたことに敬意を表します。

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  2. モハメイドペーパーさん

    ありがとうございます!
    この頃の三池港周辺は魔境のようで、線路が四方八方に延びていました。
    事前情報も少なかったので、行ってみて1.5日どころか1週間粘っても足りないと気付きました。
    ただメインの本線は定期運行がなく点検用に単機が時々動く程度で、記事に載せました発電所線が辛うじて余喘を保っていたという感じです。

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  3. お久しぶりです。

    ここは私にとっては行く機会がいくらでもあったにも関わらず、結局行きそびれてしまった残念な場所です。ところでこの頃なら客車の廃車体が2輌残っていた筈ですが、ご覧になられなかったのですか?

    バックにJRのセキ8000が写り込んでいるので、まだ不定期ながら金田のセメント工場向けの石炭輸送が残っていたと思います。JRセキと併用されていた三井鉱山の私有貨車ホサ8100形が1994年に廃車されているので、この頃までは本線を走るコールトレインが辛うじて残っていた筈です。

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  4. 雪うさぎさん

    こんにちは。
    私も三池港ヤードの訪問はこれが最初の最後になってしまい、其処彼処にあった引込み線には行けずじまいでした。当時残っていた2両の客車(ホハ201とコハ10?)、お気づきになるとは流石ですね。実はホハ201の方は遠目に見ることができましたが、急いで回ったのと自由が利かないのとで近寄ることができませんでした。コハの方はもっと奥にいたのか、見当たらなかったです。これらは客レ現役時代に記録できましたので、機を見てアップしたいと思っています。

    本線貨物についてのご指摘、ありがとうございます。
    この時は「セキがいるな」と不思議に思いましたが、それ以上は質問しなかったのか「点検の単機以外は走っていない」と勝手に思い込んだのか記憶があやふやです。鉄道課長さんから説明されていたかも知れません。

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  5. 粘りましたね〜!
    貴重な2日間でしたね。
    自分は貴殿と行ったあの時しか元気な時は見ていません。
    勿体無いことしました。

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  6. chitetsuさん

    粘りました(笑)!!
    せっかく苦労して許可をもらったからと欲張ってしまいました。
    しかし、三池港近くをウロチョロしただけなのに2日弱では全然足りませんでした。
    本線貨物や客レが元気な時代に来ていたら、最低1ヶ月は必要だな・・・と今改めて妄想しています(笑)。

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  7. ED4012さん、はじめまして。美しい三池鉄道の写真拝見しました。冬の西日が射し込む港操車場いいですね。炭車の軋む音や、電車のモーター音といった情景をわたしも思い出しました。当時の鉄道課はS課長さんだったでしょうか。同じ年の夏にわたしも訪ねていますが、この年以降は港操車場で20トン電車が稼働する姿をあまり見なくなりました。ところで、わたしも雪うさぎさんの指摘する通り、炭車のうしろのJRFのセキ8000が気になりました。一応、会社資料(というか訪問者のためのパンフレット)によれば、1992(平成4)年10月に田川セメント向け石炭輸送廃止とあります。

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  8. うしやんさん

    訪問ありがとうございます。
    諸々の制約の中急いで撮り回った写真ですが、お眼に留まり光栄です。
    「炭鉄本館」はいつも拝見しています。

    1981年に原万田駅で客車列車を間近に見たとき、それはもう強烈な印象を受けました。以来再訪を目論むも遠隔地ゆえ簡単に行けませんでしたが、ここで20年ぶりに叶えることができました。
    92年でBロコ(20トン電車)の運用が減ったとは知りませんでした。1・5号機など元気に走り回っていましたが、まさに滑り込みセーフだった訳ですね。

    セキ8000もなぜ廃止後にここにいたのか謎ですが(単純な手続きの遅れ?)、不勉強だったのと終始緊張の連続でしたので、大した聞き取りができなかったのは今でも悔やまれるところです。

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