2017年9月14日

東武伊勢崎線 玉ノ井あたり

▲東武鉄道78系 玉ノ井 1980-5

1980年初夏のこと、田舎から上京して間もない幼気な鉄道少年は、入部したばかりの鉄研仲間と共に東武伊勢崎線へ。子どもの頃から馴染みのデンシャたちですが、浅草近郊で撮るのはこれが初めてでした。

まずは玉ノ井(現:東向島)へ向かいます。
早速やって来たのは78系、続いてDRCもやって来ました。
戦前東武型の巨大パンタを背負ったモニ1473。
レンズが下に振れるクセの直らない管理人、折角のモニを「パンタ切れ」に・・・
▲いずれも玉ノ井 1980-5
 
前面窓やパンタ位置など73・78系の形態はバラエティに富んでいました。主役だった8000系列をほとんど撮っていないことに気がつきましたが、セイジクリームを纏った姿に些か嫌気が差していたのかも知れません。
 
次々にやって来る彼らの合間には6000系や1800系「りょうもう」、DRCそして荷電・・・短時間のうちにこれだけのデンシャに会える路線はあまりなかったのではと改めて感じました。
▲いずれも玉ノ井 1980-5

続いて隣の曳舟へ。
こちらは程なくしてやってきた5700系回送。すぐに折返しでやって来た快速急行「おじか」に入りました。

登場間もない5000系第一陣はまだ非冷房です。
当時は彼らが引退することなど想像もできませんでした。
▲いずれも曳舟 1980-5

続いて牛田でも構えます。3枚目はこれまた非冷房時代の5000系です。
▲いずれも牛田 1980-5

何年か前、かつて赤線地帯だったこの辺りを歩き回った時、立ち寄った喫茶店のマスターから「細かい色タイルを貼ってある家が『銘酒屋』の名残りですよ」と教えてもらいました。私娼街の残影はまだ少しあるようでしたが、負の遺産扱いされるのか大分寂れているように見えました。
▲曳舟 1980-5

4 件のコメント:

  1. 8000系非冷房車の様に見えるのはいずれも5000系の第一陣ですね。
    パンタやベンチレータなど外装部品は8000系冷房化による余剰パーツを用いたようですが、吊革だけは冷房車用の短い新品が付いていました。
    後に東上線へ集結して8連組んだり、カステラ装飾をまとったりとその変化を楽しめたものでした。

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  2. 12号線さん

    5000系についてのご指摘ありがとうございます。せっかくなので本文も訂正しました。
    今考えるともったいない話ですが、当時は5000・8000系にはあまり惹かれることなく、ついでに撮った記録しかありません。今回アップしたフィルムも写っているのは73・78系ばかりで、8000系や1800系が1枚もなく興味が偏っていたのを確認する破目になりました(苦笑)。

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  3. モハメイドペーパー2017年9月15日 23:12

     杉戸、幸手、羽生、中学生の頃の私には、どこなのか想像もつかない駅名ばかりでした。

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  4. モハメイドペーパーさん

    首都圏からだと伊勢崎線・日光線方面は大阪より縁遠い場所かも知れないですね(笑)。
    佐野からですと羽生や杉戸は庭の延長のような感覚でしたが、首都圏の西側、西武線や京王線方面はえらく行きにくい感じがして、初乗車なったのは大分経ってからでした。

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