2017年9月29日

「くりでん」電車時代 その4

▲栗原電鉄M182 沢辺-津久毛 1994-8

1987年、ヤマの終焉とともに鉱山鉄道のしての役目を終えた栗原電鉄。
終点は「細倉マインパーク前」に移り、これを誘客のテコにと模索が始まります。一方で電車たちの前面にはマインパークPRの巨大看板が括り付けられて些か不細工になっていました。
▲沢辺 1994-8

まずは定番の沢辺の交換風景から狙います。夏休み中ですが通学生が結構乗ってきました。

福島交通からやって来たM18形、彼の地にすっかり馴染んでいるようでこの日もフル稼働でした。
▲いずれも沢辺 1994-8
 
その後はこれまたお決まりの構図、津久毛方の広大な田圃の一角に陣取ります。これで3度目ですがグリーンカーペットを滑るように飛ばしてくる電車には飽きません。
▲いずれも沢辺-津久毛 1994-8

こちらは栗駒駅。
列車交換はありませんが、丹念にタブレットの授受をしています。
▲いずれも栗駒 1994-8
 
栗駒を出てすぐの三迫川を渡るM182。
▲栗駒-栗原田町 1994-8
 
ガニ股電機ED20形も失業、若柳で昼寝中ですが綺麗に塗装されていました。この後3両とも保存されます。
▲いずれも若柳 1994-8
 
目立ちすぎる巨大看板にどうにも辟易してしまい、これにて引き揚げることにしました。乗客は結構いるように映りましたが、この翌年3月をもって電車運転は廃止、新生「くりはら田園鉄道」へ再スタートを切ります。
▲ 栗駒 1994-8
 
▲沢辺 1994-8

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