2017年12月30日

お知らせ~帰省します

▲同和鉱業片上鉄道キハ801ほか 片上-清水 1989-2

栃木へ帰省のため、本日よりしばらく更新をお休み致します。
また頂戴したコメントへの返信が遅れるかも知れませんが、併せて宜しくお願い致します。
 
本年も小ブログをご覧いただき、ありがとうございました。
それでは良いお年を!! 
 
▲片上-清水 1989-2
 
▲清水 1989-2

2017年12月26日

時々、蒸機日和

▲真岡鉄道C11325 下館二高前-折本 1999-1
 
日常的に旧型客車が走る大井川鉄道を除けば、蒸機列車には二の足を踏むのが常でした。
大型カメラ複数台に脚立の林立、二重三重の人山の中で石のようにじっと待つ覚悟が必要です。辺りをうろつきながらノンビリと撮りたい管理人には、その根性はありませんでした。

▲秩父鉄道C58363 影森-浦山口 1996-7

・・・という訳で蒸機の撮影には煙分中毒の友人をナビゲータに出かけるのが常套です。「蒸機にはモノクロ」が一応のスタンスで、フィルム時代は67判+トライXをメインに据え、余裕があれば35mmでリバーサルも、といった按配でした。

まずはこちら、最も多く出向いたのは秩父鉄道です。といっても関心はデキの牽く貨物の方に向いていました。
▲樋口-野上 1996-7
 
 この頃、電車の主役はデハ1000形でしたが、国電カラーになる前のカラーリングはちょっと頂けませんでした。
▲いずれも黒谷-大野原 1996-7
 
秩父と共に、比較的お気軽に狙える真岡鉄道。
栃木へ帰省の折、子連れで立ち寄ることもありました。
▲市塙-笹原田 1999-1
 
▲天矢場-茂木 1999-1
 
こちらは上越線。
秩父から出張してきたC58とD51の競演があった日で、渋川近くのカーブで構えます。まだD51498に形式入りナンバーがついていた頃でした。
▲いずれも渋川-敷島 1994-1
 
▲八木原-渋川 1994-1

優先順位はやや低かった蒸機でしたが、函館本線のC62は例外。
例によってケムリ中毒に案内してもらい軽い気持ちで・・・のつもりがあまりの迫力に度肝を抜かれてしまい、小型機との圧倒的な格の違いを見せつけられた気がしました。
▲小沢-銀山 1993-6
 
「山線」での力行も去ることながら、変な飾りつけもなければ相方が43系客車というのにも惹かれ、何度か通うことになりました。こちらの記録はまた別の機会にアップしたいと思います。
▲倶知安-小沢 1993-6

2017年12月20日

デンシャがとおる

▲京阪電鉄276・504 京津三条-東山三条 1981-2

田舎育ちの管理人には、鉄道線の大型車が路面をのし歩く姿はイメージできませんでした。1978年春、福井鉄道で「デンシャのお通りだ」とばかりに闊歩するのを眼にしたときは、新鮮さを通り越して痛快な感覚すらありました。

そんな中から本日は京阪電車京津線の路面区間をお送りします。
初見参の1981年早春、この頃の主役は260形でした。定番の撮影地だった三条駅近くの歩道橋を昇ったり降りたりしながら狙います。こちらは大正時代のブリル台車を履いた273+274。
260形は製造時期によって1次~4次車に分類され、細部が異なります。3次車の276はBW台車を履いていました。
4次車の280は前照灯が2灯で、ウインドシルがありません。
こちらもBW台車装備車です。
大正から昭和初期の路面電車タイプばかりの京津線にあって、80形は戦後初の完全な新車。デザインが秀逸なだけでなく、技術面でも斬新な車両でした。
▲いずれも京津三条-東山三条 1981-2

さて時代が下って、こちらは1990年夏。
蹴上の坂で構えていると、80形が滑るように登ってきました。ちょうど冷房化工事が始まった頃で、屋根上が一変しています。
▲蹴上 1990-8
 
主役は260・300形を改造して誕生した600形らに代わっていました。
▲いずれも蹴上 1990-8

▲いずれも東山三条-蹴上 1990-8

しかしこの区間も1997年秋の地下鉄開通で廃止に。
かつては各地で見られた同じようなシーン、岐阜や新潟といった「ド迫力区間」なき後、今なお盛業なのは石山坂本線と福井鉄道くらいでしょうか。尤も、福井の方は「路面電車が郊外に乗り入れる」に逆転している感がありますが。
▲京阪山科 1990-8

2017年12月14日

花電車の走った日

▲東京都交通局6063車内 1978-4

1978年春、都電荒川線が全面ワンマン化。
これに合わせて20年ぶりの花電車が走る、という記事を偶然見つけて出かけてみました。運行時刻など予備知識は全くなく、ぶっつけ本番での出動です。

まずは王子駅前へ。
30両の大所帯となった7000形更新車に押され気味ながら、青帯7500形も活躍中です。
▲王子駅前 1978-4 

さて花電車のことは何も分からないので、取り敢えず荒川車庫前へ行ってみると黒山の人だかりです。見物人の一人に聞いてみると間もなく来るとのこと、車庫の周りをうろうろしながら待つことにしました。
▲いずれも荒川車庫前 1978-4

見物の人山に適当に潜り込んで待つこと暫し、7000形を先導車に乙6000形が連なってやって来ました。
▲先導を切るのは7031号

▲続いて乙6212 「馬車鉄道号」

▲トリを務めるは乙6213 「ムシバ号」 

花電車ですから派手な飾り付けは当然ですが、うーむ・・・な電車ではあります。平日のせいか乙6000形は総勢5両のうち3両の出動でしたが、日によって両数が変ったり、先導車を6000形が務めたりしました。

さて、しばらくすると本命の6000形の出庫です。
▲いずれも荒川車庫前 1978-4

最初にして最後の都電ツーマン車乗車体験です。
カメラの放列を浴びた車掌さんはバツが悪そうですが、便乗して自分もちゃっかり構えました。
▲6063車内 1978-4

大塚駅前に到着、ここで最後を見送ります。
▲いずれも大塚駅前 1978-4

乙6000形はこの運転のために余剰の6000形を急遽改造して仕立てたとのこと。しかし突貫工事がたたってその後は使用されることなくお役御免となった由、まさに1度限りの花道となりました。
▲荒川車庫前 1978-4

2017年12月8日

新潟交通 六分あたり その3

▲新潟交通モハ19 六分 1988-5
 
県庁前の軌道線や、田圃が広がる燕周辺に比べると「風景的には今ひとつ」と敬遠してきた中ノ口川沿いの区間。訪問のきっかけは普段あまり読まないTMS誌で偶然見つけた連載記事でした。

無論モデラー向けの建造物や配線の解説がメインですが、そこには往年のローカル駅の魅力を凝縮したような光景が展開され、まさに目からウロコです。

中でも最も気になったのは六分駅。年季の入った木造駅舎に貨物ホーム・上屋・倉庫・待合所などが按配良く配置されていました。
▲いずれも六分 1988-5

駅舎を始め、開業時からの施設や配線が末期まで残り、中之口村の中心として機能していた往時が偲ばれます。本屋は大きい民家といった趣で「風格」とはちょっと違いますが、家に帰ってきたような安堵感がありました。

六分始発の区間列車が手持ち無沙汰げに客待ち。
1981年、燕-六分間に8往復設定されるも旅客増にはつながらず、程なく廃止されてしまいました。 
▲いずれも六分 1988-5 
 
六分の佇まいに気を良くしたこの日は、初めて中ノ口川沿いを撮り歩きました。 
▲月潟 1988-5 

▲いずれ味方-白根 1988-5

1992年に軌道線が廃止されると、後を追うように燕-月潟間も姿を消して孤立路線となり、同時にこの駅も姿を消しました。残された月潟-東関屋間はバスとの連携を図りながら、生き残りを模索していきます。
▲いずれも六分 1988-5