2018年4月28日

安直画像で綴る首都圏私鉄70’s その15

▲東武鉄道1720系「きぬ」 浅草-業平橋 1974-1

それは1974年正月のこと、小学校最後の冬休みに起きました。
例によって東武線の始発電車で勇躍出発、定番コースの上野・東京へ、そしてこの日は初めて神奈川県へ足を踏み入れました。

一くさり撮り終わり、すっかり暗くなった横浜駅で36枚撮りフィルムが終了。しかし、使い切った時の、あの手応えがありません。
▲赤羽線101系と東武73系 池袋 1974-1 

38、39、40・・・と変わりません。あれっ??今度はレンズキャップを閉めて41、42、43・・・やはりコマが無情に進みます。顔から血の気が引いていくのが分かりました。

巻き戻してみるとこれはスンナリ、一縷の望みを写真屋へ託します。
しかしそれも虚しく、最悪の「36重写り」こそ免れましたが、やはり大半のコマが重なっていました。

そんな訳で失敗作として長年プリントもせずに放置状態でしたが、一部ながら画像ソフトの恩恵に浴すことが可能になり、44年ぶりに火を通すことにしました。

まずはこちら、前哨戦のコマですが既に兆候が出始めています。
▲北千住 1974-1

中盤、まだ数枚に1枚は無事です。
▲上野 1974-1

そして陽が傾き始めた頃に川崎へ、南武線のデンシャを初見参です。フィルムも終盤ですが、崩壊がひどくなってきました。
▲これは救いようがありません いずれも川崎 1974-1

最後は横浜へ、先ずは入場券を買い京急線ホームです。こちらもこの有様で、そのままでは使い物になりませんが・・・

トリミングして救済後はこんな感じに。しかし、かなり窮屈なフレームです。
▲いずれも横浜 1974-1

ここまで来るとコマを数えるのも心臓に悪いので止めましたが、50コマ目くらいだったでしょうか。しかし達観すると妙なもので、最後の数カットは最小限の被りでした。

こちらはほんの一覗きに終わった相鉄線。
当時の主役は新旧6000系で、もちろん旧塗装でした。横浜駅はホームドアが出来た以外、雰囲気は現在とあまり変わっていない気がします。
▲いずれも横浜 1974-1

さて、今回は捨てる筈だった失敗フィルムが図らずも陽の目を見ることになりましたが、このトリミングといい大概の失敗が補正できてしまう最近のデジタル技術には改めて感謝。ひょっとして、これまで見向きもしなかったカットの中に、案外使えそうなのが未だ埋もれているのではないか・・・と欲を掻いた管理人です。
▲いずれも浅草 1974-1

2 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2018年4月29日 23:16

     モノクロなら超硬調、超軟調でもかなり補正できます。カラーは素人が下手にC、M、Yを単独でいじると、どんどんドロ沼に嵌まって収拾がつかなくなるので、自動補正をかけてから細かい階調の調整をするのがよさそうです。

    返信削除
  2. モハメイドペーパーさん

    紙焼きの頃は多諧調印画紙を使っても駄目なコマもありましたが、それさえ見られる画にしてしまうデジタルにはちょっとビックリですね。

    カラーの方は、今でこそ京浜東北線を山手線や常磐線に変えたりして遊ぶ余裕も出てきましたが(笑)、少し前までドロ沼に嵌りっぱなしでした。自動補正は余り使っていませんでしたが、やってみると画像によっては自動→CYMで微調整、の方がはるかに上手くいきました。アドバイスありがとうございますm(__)m

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。ただし管理人判断で削除することもありますのでご了承下さい。