2018年4月10日

「No.1フィルム」と東武電車

▲東武鉄道3050系 佐野市 1973-6

色褪せた紙ケースに「No.1」と書かれたフィルムには、毎日のように見てきた東武電車や電機が写っています。

尤も、どのコマもピンボケだったりひどく斜めに写っていたり、はたまた真っ黒で何を撮ったのか分からなかったりと、碌なものがありません。同級生と交換したのか、コマが抜けていたりもします。しかし、初めてデンシャにレンズを向けた記録にはやはり特別な思い入れがあります。

初期の習作としてプリントもせずに忘却の彼方でしたが、デジタルの恩恵でトリミングや露出補正が簡単になり、何とか見られる画になってきました。
▲佐野市 1973-5

初めてのフィルムは勿論モノクロ、一番安かった「コニパンSS」の20枚撮りでした。
同級生らと喜び勇んで写真屋に向かい、宝箱のように大層大事そうに持ち帰った記憶があります。
▲佐野 1973-5
 
▲いずれも佐野市 1973-5

下校途中に寄り道して眺めるのが日課だったED4010・4020形はまだ1灯。
この1-2週間後だったと記憶しますが、他形式同様にブタ鼻になってしまいました。

▲いずれも佐野市 1973-5

一方カラーの「No.1」はこれまた一番安い「フジカラーN100」。
安いといっても子どもの小遣いでは一枚ナンボですから、勢い慎重に撮らざるを得ませんでした。

しかしそんな中、迷わずレンズを向けたのは1800系急行「りょうもう」号。
佐野線の電車は3050系が行ったり来たりの繰り返しですが、一閃は葛生発・りょうもう6号でした。こちらは日曜の早朝、葛生へ向かう回送列車です。
▲いずれも佐野市 1973-6

今度は浅草行の客扱い列車を待ち受けます。
▲いずれも佐野 1973-7
 
庭だった佐野市駅では、廃レールに座り込んで飽きもせず列車を眺めていました。
中線のあるこの駅ではいつも離合に出会えましたが、貨物が貨物を追い抜くという異色のシーンも当線ならではでした。
▲いずれも佐野市 上:1974-6 下・1973-6
 
▲田島-佐野市 1974-12 (「新塗装登場」から再掲→→こちら

▲佐野 1973-6 (「東武鉄道 最後の54系」から再掲→→こちら) 

この頃から自転車を駆りながら撮り回る日々が始まります。
しかし、ひっそりと消えていく54系、衝撃的なセイジクリーム色の出現、そして貨物列車自体の全廃などなど・・・忘れ難いイベントが次々にやって来るとは、当時は知る由もありませんでした。
▲佐野市 1973-6
 
▲佐野 1974-6

4 件のコメント:

  1. まだ貨物王国だった往時を偲ばせる貴重なスナップですね。
    3050系も新車同様で、末端線区のサービス向上を担ったのでしょう。
    ところで、当時の8000系ほか貫通幌ですが、外皮はオレンジ、内部は内装に合わせたラクダ色になっていたかと思います。
    これはペンキ塗料で塗り分けたのでしょうか?
    後年8183Fから内外灰色の物に変わり、コストダウンを新しい仕様としてその当時見ていたものでした。

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  2. モハメイドペーパー2018年4月11日 15:24

     この頃のコニパンSSには、パトローネに入っていないイージーローディングというのがあり、ヨドバシカメラには詰替え用に空のパトローネがごっそり置いたありました。コダックのパトローネはカシメが固く、簡単には外せなかったです。

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  3. 12号線さん

    ありがとうございます。
    3050は54系から更新されたばかりの車も多かったせいでしょうか、この頃は綺麗な姿が目に付きました。しかし、やはり揺れとモータ音は凄まじく会話もろくにできなかったのを思い出しました(笑)。
    この頃の貫通幌は律儀に塗られていましたが、やはり車体と同じ塗料で塗り分けていたのでないかと思います。グレーの幌も平面的なお顔には良いアクセントで、個人的には好みです。

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  4. モハメイドペーパーさん

    詰め替え用パトローネとはまた懐かしい言葉です。
    高校の写真部時代、下級生の仕事としてこの詰め替えをやらされたのを思い出しました(笑)。トライXは高かったので確か「ネオパンSSS」だったかと思います。
    上京して新宿ヨドバシに通っていた頃は暗室がなかったのでできませんでしたが、替わりに店で詰め替えたものを3本セットにしたトライXが常用フィルムでした(光カブリによくやられました)。

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