2018年1月31日

四季の谷汲線・冬

▲名古屋鉄道モ754 北野畑-赤石 2001-1
 
谷汲線沿線は岐阜市内からそう遠くない位置にありながら、冬の降雪は多い気候でした。「一面の雪原を行く赤い電車」はさぞかし映えるだろう、などと一途にイメージするも雪のタイミングとなかなか合わず、結局出会えたのは1回だけでした。
▲赤石-長瀬 2001-1
 
2001年正月、大雪警報を見て迷わず出発です。
悪天候を望むのも変な話ですが、黒野に近づくにつれ雪雲に覆われてきました。

先ずは定番となった赤石付近へ。
北野畑駅を出た電車は根尾川沿いに大きくSカーブを描きながら、谷汲へ向かいます。
▲いずれも北野畑-赤石 2001-1
 
次はこちら、谷汲近くの田圃から。
▲長瀬-谷汲 2001-1
 
ひたすら降り頻る中、長瀬駅に進入するモ754。
▲いずれも長瀬-谷汲 2001-1
 
乗降客はゼロ、音もなく去って行きました。
▲赤石-長瀬 2001-1
 
まだ16時前だというのに人気は全くなく、辺りは暗くなる一方で物音一つ聞こえて来ません。徐々に不安になってきますが、時刻になると電車は確実にやって来ました。
▲露出が稼げずモノクロに切替えです いずれも長瀬 2001-1
 
▲更地-北野畑 2001-1
 
雪は深々と降るばかり、足元も覚束なくいよいよ危なくなってきたので引き揚げることにしました。黒野に戻るとようやく通学生の歩いてくるのが見え、ストップするのでは・・・という不安も氷解して行きました。

四季の谷汲線・晩秋 →→ こちら

▲いずれも黒野 2001-1

2018年1月26日

松本駅とクモハ43 

▲大糸線クモハ60形 松本 1976-7

1970年代の松本駅は中央東・西線のデンシャを始め大糸線の旧型国電、そして松本電鉄など鉄道少年にとって魅力満載の地でした。76年の夏休み、この時企んだ信州早回り旅では最優先で立ち寄ることにしました。

まずはこちら、松本電鉄上高地線。
駅の端、7番線から発車する佇まいは現在も変わらぬままです。
▲いずれも松本 1976-7
 
続いては隣の大糸線ホームです。
身延線から移って間もない頃、まだスカ色のクモハ43804が入換中。側面サボには「松本-明科」とあり、篠ノ井線の間合い運用もあったのでしょうか。何気なくスナップしただけでしたが、その後中間に入ってしまい顔を拝むことは殆どできなくなりました。
反対側のクハ55。
2両目のスカ色はこれも身延線からやってきた元流電の一派、クモハ43810です。
▲いずれも松本 1976-7
 
こちらはブルー化後のクモハ43804。
▲松本 1980-9
 
登山シーズンとあってホームはごった返していました。
「海坊主」ことクモユニ81もやって来ます。
新型直流電機の先駆けとなったED60。
1-3号機が大糸線の小口貨物に重用されて、86年の貨物廃止まで活躍します。
こちらは中央線の主、EF64。
▲いずれも松本 1976-7
 
まだ一コマいくらの時代、例によって当たり前のように往来する115系やクモニ83が1枚も写っていないことに、またも後悔した次第でした。

松本電鉄・新村 →→ こちら

▲松本 1976-7

2018年1月21日

土佐電の復刻塗装を追う その2

▲とさでん交通213 曙町-朝倉 2017-4

さて、鏡川橋からは待望の単線区間に入ります。
鏡川橋電停は終点の機能があるせいか、下りホームは縦一列に2面、降車専用・伊野方面乗降用が並ぶという配置です。
▲鏡川橋(手前が伊野方面ホーム) 2017-4

鏡川橋の隣、鴨部電停を過ぎた思いきや、急に左右の家々が迫って来ました。擦れ違う車に接触するのではと心配になるくらいですが、お構いなしに飛ばします。

降り立ったのは朝倉電停。
当然安全地帯はなく、路面をグリーンに塗っただけで名鉄市内線を思い出せます。
▲朝倉 2017-4

▲曙町-朝倉 2017-4

朝倉電停には小振りながら年季の入った待合所があります。シャッターが降りている部分はかつての乗車券発売所。2Fは駅員用休憩所の跡でしょうか。
▲朝倉 2017-4

待つこと暫し、213が伊野から折り返して来ました。
ここで旧山陽電軌の801とタブレット交換です。
電車が交換すると道が塞がったような感じがしました。
▲いずれも朝倉 2017-4

さて朝から怪しかった空模様ですが、ついに泣き出しました。
何しろ滅法狭い生活道路の上に結構な車の往来、これに雨とくれば逃げ場がありません。右往左往しながら除けているうちにもう一つのメイン、208がやって来ました。後ろの行き違い線は市場前信号所です。
▲いずれも市場前(信)-曙町東町 2017-4

傘を差しながらカメラを構え、あちこち徘徊するサマはまるで挙動不審者ですが、213の折り返して来るまではと待ち続けます。しかしこの後やって来るのはCI塗装や・・・
▲鏡川橋-鴨部 2017-4

折角の少数派・旧山電800も広告車だったり・・・
▲鴨部 2017-4

うーむな電車だったりで・・・
▲鴨部 2017-4

・・・いくら待っても213がやって来ません。
どうやら運用が変ったか車庫に入ってしまったようです。雨足も強くなったので仕方なく撤収、伊野まで表敬訪問することにしました。

伊野は2008年に新駅舎ができ、電停周辺も小ざっぱりしてしまいましたが、往年の場末感は残しています。
▲いずれも伊野 2017-4

さて、手元の1日乗車券を眺めながら後免町へ行ってみるか、と迷うも朝倉近辺で大分長居してしまい、既に薄暮。空腹に寝不足も手伝って引き揚げることに・・・後免線はまたも宿題になりました。
▲曙町東町-曙町 2017-4

2018年1月17日

土佐電の復刻塗装を追う その1

▲とさでん交通213 朝倉 2017-4

2014年に「とさでん交通」として再スタート切った土佐電。
これを機に電車たちがCI塗装に順次変更・・・との情報を聞いてからというもの、従来カラーが気になって悶々としていましたが、昨春やっと決行です。狭い生活道路を伸し歩くデンシャ、長年見たかったこの光景に会うためでもありました。

▲208 市場前(信)-曙町東町 2017-4

高知空港へ着くや、はりまや橋電停へ直行。幸運というべきか、ツーマン塗装の213がいきなり出現、全速力で駆け寄りましたが・・・
▲ゼイゼイしながら構えて・・・
 
▲行ってしまいました・・・

あちこち乗り回しながら終点を極めようという予定を急遽変更、213を追い駆けることに。取り敢えず電停近くのお馴染みの歩道橋で待ち構えることにしました。

土佐電の初見参は1985年、知寄町車庫を一覗きしてオシマイでしたが、それから幾星霜。この間低床車も登場していますが、200・600形らがまだまだ主役でした。30年以上変らぬ顔触れというのも、考えてみると凄いことです。
▲はりまや橋 2017-4
 
▲いずれも はりまや橋-堀詰 2017-4
 
CI塗装の進捗度は3割程度で、これに広告車も入れると在来色残存率は半分弱といったところでしょうか。
 
さて歩道橋に陣取っていると、目当ての213がやってきました。
都電6000形コピーの200形は1950年に登場。車齢60年超ながら大半が元気に動いているのは嬉しい限りですが、ツーマン塗装車はやはり別格です。
▲いずれも はりまや橋 2017-4
 
▲はりまや橋-堀詰 2017-4

脱兎のごとく堀詰電停へ、程なくしてやって来た621号で追い掛けることにします。
▲621車内 2017-4

先ずは乗ってきた電車の終点、鏡川橋電停で下車。
ここで213に追い付いた・・・と思いきや、あちらはすぐさま発車です。
▲また行ってしまいました・・・鏡川橋-鴨部 2017-4

次の伊野行まで暫し、続行でやって来た211をスナップ。
鏡川橋は伊野線の中心的な電停で、20分に1本の伊野行以外は全列車が当電停止まりです。安芸線健在の頃はここから直通列車も発着していました。
・・・次回に続きます。
▲鏡川橋 2017-4